JLPT N1 – Reading Exercise 40

#267
Furigana


教育きょういく現場げんばたずさわるものとして「いち以前いぜんからになることがあった学生がくせいたちとなに議論ぎろんしていても、たいていだれかが「わたしはこうおもうけれど、ひとそれぞれ、いろいろなかんがえがあるとおもうし、それでいい」という趣旨しゅし意見いけんべ、そのとたん、議論ぎろんたなくなることである。「ひとそれぞれ」で「なんでもあり」となれば、社会問題しゃかいもんだい大半たいはん個人こじんこのみと選択せんたく問題もんだい矮小化わいしょうかされてしまう。ゼミでは「」「ひとそれぞれ」を禁句きんくにするなどの対策たいさくをとってはみたものの、わたし学生がくせいあいだ蔓延まんえんする個人志向的こじんしこうてきかんがかたにきちんと対峙たいじできずにいた。そのようなとき、ある授業じゅぎょう学生がくせいたちがいたリポートをんで、あたまなぐられたようなショックをけた。
このところ過失かしつとはとうていおもえないような悲惨ひさん交通事故こうつうじこのニュースが相次あいついでいる。そこで交通事故こうつうじこ被害者ひがいしゃ人権じんけんについて、これから免許めんきょ取得しゅとくするわかひとかんがえてもらいたくて、二木ふたき雄策ゆうさくの『交通死こうつうし』というほん読書どくしょリポートをした。大学生だいがくせいだった二木ふたきお嬢じょうさんは、自転車じてんしゃ交差点こうさてん横断中おうだんちゅう赤信号あかしんごう無視むしして突入とつにゅうしてきた自動車じどうしゃにはねられてくなった。加害者かがいしゃ女性じょせい執行猶予しっこうゆうよ付きの判決はんけつ刑務所けいむしょはいることもなく、また、損害賠償そんがいばいしょう交渉こうしょう支払しはらいも保険会社ほけんがいしゃ代行だいこうした。
加害者かがいしゃ信号無視しんごうむし被害者ひがいしゃいのちうばわれたのに、加害者かがいしゃは(すくなくともかたちうえでは)以前いぜんわらぬ生活せいかつおくることができるのだ。加害者かがいしゃ手厚てあつ現行げんこう諸制度しょせいどは、「さんひといのちよりもくるま(イコール企業きぎょう)をおもんじる社会しゃかいだとの著者ちょしゃ主張しゅちょうには説得力せっとくりょくがあるとわたしおもっていた。
ところがすくなからぬ学生がくせい反応はんのう予想よそうをしないものだった。「加害者かがいしゃがかわいそう」だ
うのである。被害者ひがいしゃ立場たちばからの主張しゅちょうのみがべられているのは「客観性きゃっかんせいける」という。わたしは「よんあたまかかえてしまった二木ふたき文章ぶんしょうは、むすめうしなった父親ちちおや沈痛ちんつうおもいがせつせつとつたわってくるものの、けっして激情げきじょうられてかれたものではない。むしろよくここまで冷静れいせいけるものだと感心かんしんするくらいなのだ。
もちろん加害者かがいしゃには加害者かがいしゃ人生じんせいがある。しかし学生がくせいたちは、その人生じんせいゆたかな社会的しゃかいてき想像力そうぞうりょくはたらかせるわけでもなく、たんに、被害者ひがいしゃがわ見解けんかいだけでは一方的いっぽうてきだと主張しゅちょうする。杓子定規しゃくしじょうぎ客観的きゃっかんてき中立的ちゅうりつてき立場たちばもとめなければいけないとおもいこんでいるようなのだ。まるで立場たちばことなる二者にしゃあいだ意見いけん対立たいりつられた場合ばあいには、してればちょうどよいとでもわんばかりに。
なぜ学生がくせいたちは、加害者かがいしゃ被害者ひがいしゃ対立図式たいりつずしきにこだわり、著者ちょしゃうったえる問題もんだい社会的しゃかいてきひろがりにづかないのか。もどかしいおもいでリポートをむうちに合点がてんがいった。れいの「ひとそれぞれ」である。
あらゆる意見いけん私的してきなものであれば、むすめ交通事故死こうつうじこし経験けいけんして「くるま社会しゃかい」の異常いじょうさをうったえる父親ちちおや主張しゅちょうひとつの個人的こじんてき立場たちばぎず、その意味いみでは加害者かがいしゃ立場たちば等価とうかなのだ。主張しゅちょう対立たいりつのなかから、あるべき社会しゃかい姿すがた模索もさくする努力どりょく放棄ほうきしたとき、社会正義しゃかいせいぎしてるというような手続てつづじょう公平こうへいさにもとめざるをない。
小笠原おがさわら祐子ゆうこ「『なんでもあり個人主義こじんしゅぎ』の退廃たいはい2000年にせんねん7月しちがつ11日じゅういちにち朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかんによる)
せつせつと:ひとこころうごかすほどつよ
もどかしい:おもうようにならなくてイライラする
合点がてんがいく:意味いみがよくかる

词汇 (76)
试试看!
1
筆者は学生について「1」以前から気になることがあったとしているが、それはどのようなことか。
1. 自分とは考えの違う人の意見を無視して議論を進めようとすること
2. 正しい結論にまとめるために、たくさんの人の意見を聞きすぎること
3. いろいろな意見を出し合うが、お互いが理解しているか気にしないこと
4. それぞれが自分の意見を言うが、一つの結論を導く姿勢を持たないこと
2
筆者はなぜゼミで「2」『人それぞれ』を禁句にしたのか。
1. 一人一人の考え方や好みが違うということを学生たちに認識させるため
2. それぞれが自分の選んだ社会問題を議論したいと思っても一度にできないため
3. 個人的な問題は社会問題と比べたら小さいもので、議論するものではないため
4. 個人の考え方の違いで済ませるのでなく、社会全体のことを考えて議論するため
3
二木氏のお嬢さんをはねた車を運転していた人の事故後の状況について、正しいものはどれか。
1. 刑務所には入らず、賠償金は保険会社を通して支払われた。
2. 事故後すぐ相手にお金を払ったので、刑務所には入らなかった。
3. 事故後すぐは、前と同じ生活ができたが、後で刑務所に入った。
4. 刑務所には入ったが、賠償金を支払ったので、すぐに出られた。
4
二木氏が「3」人の命よりも車(イコール企業)を重んじる社会だと主張する根拠は何か。
1. 交通事故で被害者が亡くなっても、加害者がそれに合った罰を受けないこと
2. 社会の人々が、交通事故の被害者より加害者に同情するという傾向があること
3. 今の制度は、加害者の生活より加害者の会社のことを考えた制度だということ
4. 保険会社は、人が亡くなっても、車の損害分しかお金を支払ってくれないこと
5
筆者が「4」頭を抱えてしまったのは、なぜか。
1. 学生たちが被害者よりも、悪質な交通事故を起こした加害者の方が正しいとして同情しているから
2. 学生たちが、被害者の主張を十分に理解せずに、ただ客観的であることが大切だと考えているから
3. 娘を亡くした二木氏に同情し、客観的判断をしていなかったことに、学生たちが気付かせてくれたから
4. 被害者の立場だけを考えるのは社会正義から考えて正しくないということを、学生たちが、気付かせてくれたから
6
筆者の解釈では、学生たちはどのような意見を持っているか。
1. 学生たちは、加害者の立場よりも被害者の立場をもっと重んじるべきだと考えている。
2. 学生たちは、意見を述べるときには、私的に述べるのではなく、社会正義を考えるべきだと考えている。
3. 学生たちは、被害者も加害者も一人の人間であり、それぞれの立場から平等に主張してよいと考えている。
4. 学生たちは、被害者、加害者の意見を聞いた上で、社会のあるべき姿から考えて、加害者に罪を償わせるべきだと考えている。
7
この文章の後に続く筆者の主張として、最も適当なものはどれか。
1. 社会正義を重んじるあまり、戦後広がった個人主義を批判し、個人の権利を否定するのはやめるべきである。
2. 人はそれぞれ違うということを認識し、それぞれの人の立場、考えを尊重して、無理に議論で結論を出すべきではない。
3. 個人の権利が尊重され、価値観が多様化した社会の中で、自分の意見を他人に理解してもらう努力をもっとするべきである。
4. 個人の権利の尊重が強調されがちであるが、異なる立場の人々の意見に耳を傾けながら、もっと議論を高める努力をするべきである。