JLPT N1 – Reading Exercise 64

#291
Furigana



世間せけんでは、いま、表現ひょうげん教育きょういくということがさかんにさけばれている。子供こどもたちに、どうにかして、「ゆたかな表現力ひょうげんりょく」「だれとでもはなせるコミュニケーション能力のうりょく」をにつけさせようと、おや教師きょうし躍起やっきになっている。子供こどもほうかられば、表現ひょうげん強要きょうようされているとさええる「1」状況じょうきょうだ。

だがどうも、おしえるがわも、子供こどもたちのほうも、「表現ひょうげん」ということを無前提むぜんていかんがえすぎていないか?

いや、いったい、なにをそんなにつたえたいというのか?

わたしはここ数年すうねん演劇えんげきのワークショップ(体験型たいけんがた演劇えんげき教室きょうしつ)を、年間ねんかんひゃくコマ以上いじょう全国ぜんこくかえして開催かいさいしてきた。教育きょういく門外漢もんがいかんに、このような依頼いらい殺到さっとうするのも、ひょう教育きょういく隆盛りゅうせいひとつのあらわれであろうか。

ただ、わたしが、そういった子供こどもたちにかんってもらいたいことは、表現ひょうげん技術ぎじゅつよりも、「2」「他者たしゃ出会であうことのむずかしさ」だった。どうすればコミュニケーション能力のうりょくたかまるかではなく、自分じぶん言葉ことば他者たしゃつうじないという痛切つうせつ経験けいけんを、まず第一だいいちにしてもちいたいとかんがえてきた。

高校こうこう演劇えんげき指導しどうなどで全国ぜんこくまわっているといつもかんじるのは、生徒せいと創作そうさく作品さくひんのそのいずれもが、自分じぶん主張しゅちょう他者たしゃに「つたわる」ということを前提ぜんていとしてかれているてんだ。

わたしは、創作そうさくこころざわか世代せだいに、「3」演劇えんげきつくるということは、ラブレタ-をくようなものだ説明せつめいする。「おれは、おまえのことがこんなにきなのに、おまえはどうしておれのことがかってくれないんだ」という地点ちてんから、わたしたちの表現ひょうげん出発しゅっぱつする。かりえるのなら、ラブレターなんて必要ひつようはないではないか。

日本にほんはもともと、流動性りゅうどうせいひく社会しゃかいのなかで、「かり文化ぶんか」を形成けいせいしてきた。だれもがいで、おなじような価値観かちかんっているのならば、おたがいがおたがいの気持きもちを察知さっちして、ちいさな共同体きょうどうたいがうまくやっていくための言葉ことば発達はったつするのは当然とうぜんのことだ。それは日本にほん文化ぶんか特徴とくちょうであり、それ自体じたいは、卑下ひげすべきことではない。

明治めいじ以降いこう近代化きんだいか過程かていも、価値観かちかん多様化たようかするというよりは、おおきな国家こっか目標もくひょうしたがって、価値観かちかんひとつにまとめる方向ほうこう重視じゅうしされ、教育きょういく社会しゃかい制度せいども、「4」このようにプログラミングされてきた。均質化きんしつかした社会しゃかいは、短期間たんきかんでの近代化きんだいかには好条件こうじょうけんだ。日本にほん明治めいじ近代化きんだいかと、戦後せんご復興ふっこうというふたつの奇跡きせきげた。

しかし、わたしたちはすでにおおきな国家こっか目標もくひょううしない、個人こじんはそれぞれの価値観かちかんかた決定けっていしなければならない時代じだい突入とつにゅうしている。このような社会しゃかいでは、価値観かちかんひとつに統一とういつすることよりも、ことなる価値観かちかんを、ことなったままにしながら、その価値観かちかんわせ、いかにうまく共同体きょうどうたい運営うんえいしていくかが重要じゅうよう課題かだいとなってくる。

いま、あらゆる局面きょくめんで、「5」コミュニケーション能力のうりょく重視じゅうしされるのは、ここに原因げんいんがある。「かり文化ぶんか」から、「説明せつめい文化ぶんか」への転換てんかんはかろうということだろう。だが、ここにひとつのとしあながある。

表現ひょうげんどは、たんなる技術ぎじゅつのことではない。闇雲やみくもにスピーチの練習れんしゅうかえしても、自己じこ表現ひょうげんがうまくなるわけではない。

自己じこ他者たしゃとが決定的けっていてきことなっている。ひと一人ひとりひとり、ことなる価値観かちかんち、ことなる生活習慣せいかつしゅうかんち、ことなる言葉ことばはなしているということを、いたみをともなかたち記憶きおくしているものだけが、本当ほんとう表現ひょうげん領域りょういきめるのだ。

平田ひらたオリザ「ゆるやかなきずな9」2001年にせんいちねん6月ろくがつ27日にじゅうしちにち毎日まいにち新聞しんぶん朝刊ちょうかんによる)

Vocabulary (112)
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1
「1」状況とあるが、筆者は今どんな状況だと言っているか。
1. 親や教師が子供に無理に表現させようとはしない状況
2. 親や教師が子供に相互理解の重要性を教えようとしている状況
3. 親や教師が子供にとにかく何かを表現させようとしている状況
4. 親や教師が子供に表現することの難しさを教えようとしている状況
2
「2」他者と出会うことの難しさとあるが、何を指しているか。
1. 表現の技術を高めることの難しさ
2. 言葉の通じない国で交流する難しさ
3. 本当の心の友と出会うことの難しさ
4. 言いたいことを相手に伝える難しさ
3
「3」演劇を創るということは、ラブレターを書くようなものだとあるが、どのような意味か。
1. お互いに分かり合えることを前提にして、演劇を創り上げるべきだ。
2. 相手に自分の主張が通じないことを前提に、演劇を創り上げるべきだ。
3. 恋人に自分の愛情を表現するのと同じ気持ちで、演劇を創り上げるべきだ。
4. 相手に気持ちを伝える技術を磨くことを目的に、演劇を創り上げるべきだ。
4
「4」そのようにとあるが、どのような意味か。
1. 個人が生き方を選択できるように
2. 誰もが同じような表現能力を持てるように
3. 存在する異なった価値観が共存するように
4. 国家の目標に合う価値観にまとまるように
5
「5」コミュニケーション能力が重視されるのは、ここに原因があるとあるが、その原因とは何か。
1. 私たちの心の中には、自分の主張が他者に伝わることはないと考えてしまう傾向があるから
2. 異なった価値観がぶつかり合う時、どちらの価 値観が優れているか、明確に示さなければならないから
3. 現在は、個人がそれぞれ生き方を決定する必要があり、異なる価値観をうまく共存させることが必要だから
4. 現在は、国家的な目標がなくなり、共同体としてまとまりを保つために、表現技術に優れた指導者が必要だから
6
現在の日本の社会について、筆者が述べていることと合っているものはどれか。
1. 「分かり合う文化」から「説明し合う文化」へと向かう途上にある。
2. 「分かり合う文化」と「説明し合う文化」がうまく共存し始めている。
3. すでに「分かり合う文化」から「説 明し合う文化」への転換を成し遂げたと言える。
4. 「分かり合う文化」は今も日本文化の特徴で、人々の価値観は基本的に同じである。
7
筆者は、自己表現がうまくなるには、どんなことが条件になると言っているか。
1. 相手に自分の言葉が伝わらなかったというつらい経験を持つこと
2. 自分の主張が相手に伝わるようにスピーチの練習を何回もすること
3. 外国で暮らしたり、外国語を勉強したりした経験を持っていること
4. 自分と相手の気持ちがお互いに分かり合えた経験をたくさん持つこと