ウェブ時代じだいに突入とつにゅうして、私わたしたちの生活せいかつには、世界中せかいじゅうのありとあらゆる情報じょうほうが溢あふれかえることとなった。その量りょうは膨大ぼうだいで、しかも、時間じかんとともに流ながれ去さることもなく、データとして刻々こくこくと蓄たくわえられ続つづけている。一方で、私わたしたちの毎日まいにちはといえば、相あいも変かわらず24時間じかんしかなく、寿命じゅみょうは80年ねん程度ていどだ。どうやったって、そのすべてを網羅もうらすることなどできない。私わたしたちは、仕方しかたなく、どんな情報じょうほうとも、どんな言葉ことばとも、忙いそがしなく、広ひろく浅あさいつきあいをするようになって、ふと我われに返かえると、自分じぶんは果はたして、本当ほんとうに、以前いぜんよりも、世間せけんや人間にんげんに対たいする理解りかいが深ふかくなっているのだろうかと、不安ふあんを感かんじるようになっている。そういう時代じだいに、小説しょうせつは、まさしく「小ちいさく説とく」のである。この広大無辺こうだいむへんで、複雑極ふくざつきわまりない世よの中なかを、そして、そこに生いきる人間にんげんの心こころの奥底おくそこを、誰だれの手てのひらにでも収おさまるほどのコンパクトなサイズに圧縮あっしゅくして、濃密のうみつな時間じかんとともに体験たいけんさせてくれる。それが、小説しょうせつだ。確たしかに小説しょうせつは、絵えや彫刻ちょうこくのように、一目ひとめで見みることのできる物体ぶったいではない。ある一定量いっていりょうの記号きごうの連つらなりである以上いじょう、時間じかんをかけて、前まえから順番じゅんばんに最後さいごまで辿たどっていかなければならない。しかし、その間あいだ、小説しょうせつは絶たえず、読者どくしゃに語かたりかけ、読者どくしゃに耳みみを貸かし、読者どくしゃの手てを引ひき、読者どくしゃと一緒いっしょに感かんじ、一緒いっしょに考かんがえる。それは、途方とほうに暮くれるような情報じょうほうの海うみを泳およぎ回まわるのとは、まったく別べつの興奮こうふんを与あたえてくれるはずだ。(平野ひらの啓一郎けいいちろう『小説しょうせつの読よみ方かた—感想かんそうが語かたれる着眼点ちゃくがんてん』による)忙いそがしなく:ここでは、時間じかんに追おい立たてられるように広大無辺こうだいむへんで:限かぎりなく広ひろくて途方とほうに暮くれる:どうしたらよいかわからなくなる
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