日本にほんではよく、「若者わかものはもっと個性こせいを発揮はっきすべきだ」とか、「個性こせいを磨みがくべきだ」などと言いわれます。けれど私わたしは、そういう言葉ことばにはあまり意味いみがないと思おもっています。また、日本にほんでは「個性こせい」という言葉ことばが主おもに人ひとの外観がいかんに関かんして使つかわれることにも、私わたしは違和感いわかんを持もっています。たとえば、「個性的こせいてきなファッション、個性的こせいてきなヘアスタイル」は、「人ひとがアッと驚おどろくような奇抜きばつなスタイル」であることが多おおいでしょう。(中略ちゅうりゃく)このように考かんがえると、「個性こせい=人ひとより目立めだつこと」と、多おおくの人ひとが錯覚さっかくしているのではないかと思おもいます。でも、根本的こんぽんてきなことを言いってしまえば、この世よに生うまれた人間にんげんは一人ひとり残のこらず全員ぜんいん、それぞれの個性こせいを持もっています。だから、誰だれかに「磨みがきなさい」と命令めいれいされて、義務ぎむのように磨みがく必要ひつようなどないのです。あなたが生うまれ持もった個性こせいは、明あきらかにあなた{だけ}のものです。世界中せかいじゅうに、あなたと同おなじ個性こせいを持もつ人ひとなど誰一人だれひとりとしていないのですから、「他ほかの人ひとはどうかな?」とキョロキョロすることは不必要ふひつようだし、他人たにんの真似まねをする必要ひつようもありません。真似まねしようとしても真似まねできないのが、個性こせいというものなのです。あなた自身じしんが「楽たのしい、面白おもしろい、不思議ふしぎだ、ワクワクする、ドキドキする」と感かんじ、心こころから求もとめているものを優先ゆうせんすれば、それでいいのです。「磨みがく」とか「発揮はっきする」などと意識いしきしなくても、自分じぶんが本当ほんとうに好すきなもの、興味きょうみがあることに気持きもちが向むかっていけば、自分じぶんの世界せかいがどんどん広ひろがっていく。それが本当ほんとうの意味いみで「個性こせいを磨みがく」ということです。(今北いまきた純一じゅんいち『自分力じぶんりょくを高たかめる』による)
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