以下は、あるデザイナーの書いた文章である。
私のアイディアのもとは、自分の生きてきた道の中にすべて詰まっているのだ、というふうに思っています。いままで生きてきた中で、
感動したことを現代に持ち帰ってくる。過去の中で感動したことをコピーして、それをデザインしているのです。アイディアはいつも人から、時代からもらう。自分で考え出すことは少ないのです。
私は、感動したときのシーンはよく覚えています。色も匂いも形も光も季節も、そのときの景色も、そのときその場に誰がいたかも、何を食べたかも、思い出の中に鮮明に刻み込まれています。感動すると、それくらい記憶装置が自動的に働いて、すべてを映し込んでいるのです。
(中略)
中学の頃のこと、高校のあのとき、社会人になったときのこと、妻と旅をしたときの情景などいろいろなシーンが思い出されて、それを遡って切り取りにいくわけです。
けれどもそれが、もやーっとしたものだと切り取れない。なぜ、もやーっとするかと言えば、心の底から感動していないからです。しっかり感動していないと、持ち帰れないのです。
感動は、自分の力だけでなく、親の力だったり、
友だちの力だったり、ほかの人の力によってもつくられています。子どものときから大事に育てられたとか、自分を包んでくれる街がきちっと大人たちによって美しく保たれていたとか、そういう周囲の力でつくられている場合もあるわけです。
そうした感動の思い出を大切に持ち帰ってきて、いまあるものとコラボレーションすると、新商品が生まれます。そういう意味では、まるっきりの新商品なんてあり得ません。アイディアはいつも、そんな過去の「感動の森」の中から探し出してくるものなのです。
いい思い出がたくさんあるかどうか、
いい人に会ったかどうか、美味しいものを食べたかどうか。そういうヒト・コト・モノとのよき思い出の引き出しをどれだけ持っているかによって、アイディアの湧き出る量は変わるのです。
(水戸岡鋭治『あと1%だけ、やってみようー私の仕事哲学』による)
もやーっとした:はっきりしない
感動したことを現代に持ち帰ってくるとは、どのようなことか。
1.
感動したシーンを人に語る。
2.
感動した記憶をデザインに生かす。
3.
過去に流行したデザインをコピーする。
4.
人が感動したことからデザインのヒントをもらう。
1.
感動は周囲の力でしかつくられない。
2.
感動したことは年を取るにつれて思い出せなくなる。
3.
周囲の力でつくられた感動は記憶に残りやすい。
4.
心の底から感動したことは鮮明な思い出となる。
アイディアについて、筆者はどのように考えているか。
1.
記憶が強いほど、アイデアが生まれやすくなる。
2.
他人の力を上手に利用することで、アイディアが商品につながる。
3.
感動した思い出が豊富であるほど、多くのアイディアが生まれる。
4.
感動をヒト・コト・モノに分けて考えると、いいアイディアが生まれる。