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รายละเอียดคำ

三重交通ク600形電車

乗務員室は車掌台側まで含めて客室と区分する全室式で、座席はロングシート、通風器はガーランド式通風器を屋根上中央に等間隔に5基備える。前照灯は白熱電球を収めた筒型の灯具を屋根上に1基取り付け、尾灯は車掌台側に1灯、丸形のものを埋め込み式で設置している。 なお、連結相手の電動車が貫通路を持たないこ

คำที่เกี่ยวข้อง

三重交通サ2000形電車

昭和30年代近畿・三重のローカル私鉄をたずねて 丹波の煙 伊勢の径(下)』、エリエイ/プレス・アイゼンバーン、2000年(TR40と略記) 『関西の鉄道 No.40 2000 爽秋号 近畿日本鉄道特集 PartIX 名古屋・養老・特種狭軌線』、関西鉄道研究会、2000年 『鉄道ピクトリアル No.727 2003年1月臨時増刊号』、電気車研究会、2003年

三重交通モ4400形電車

三重交通モ4400形電車(みえこうつうモ4400がたでんしゃ)とは、三重交通が日本車輌製造に発注製造し、近畿日本鉄道を経由し、現在は三岐鉄道北勢線で200系として使用されている電車である。 三重交通が湯の山温泉への観光客輸送を目的とする三重線用として、1959年8月に名古屋の日本車輌製造本店でモ4

三重交通サ360形電車

のACA-Rへ交換、台車も新製のKD-219Eへ交換されるなど、構体を流用しただけでほとんど新造に等しい大改造が実施されており、塗装が特殊狭軌線新標準色に変更されたこともあって、かろうじて側面窓がバス窓のまま残されている以外は面目を完全に一新している。 サ120形は全て改造車であり、主にモニ220形の戦後製造グループ(モニ227

三重交通サ150形電車

- 166も1965年の近鉄合併時に158 - 162に整理・改番され、北勢線用と三重線用での番号区分は廃止された。 半鋼製車であり、しかも総数12両と近鉄特殊狭軌線系統の付随車では最大勢力であったことから、サ150形は他の客車が淘汰された後も長く使用された。特に北勢線在籍車については1977

三重交通モ5400形電車

駆動装置による最終減速比は7.12で、定格速度は41.0km/h、全負荷時牽引力2,660kgとなり、在来車と性能を揃えている。 在来車と制御車を混用することや、乗務員の取り扱いの共通化などの必要から、間接非自動式のいわゆるHL制御器を搭載する。

札幌市交通局600形電車

日本車輌製造BLA形の流れを汲む半鋼製低床ボギー車で、函館市交通部500形電車も同じグループである。 単車の2倍の収容力がある大型車で、戦後の復興輸送に貢献した。BLA形と比べ、車体は全溶接構造となっていたが、室内と屋根は木造の半鋼製車であった。また、電気暖房が初めて装備された。

神戸市交通局600形電車

車体は単車の300形をボギー車にしたもので、のちに製造された700形と比べると武骨な印象があった。また 601 - 605 については、運転台右側の乗降用扉にドアエンジンを設置して自動扉となっており、当時としては画期的なものであった。 足回りは旧C車の履くマキシマムトラクション台車を含めて流用され

京都市交通局600形電車

た上で屋根板と結合して張り上げ屋根としている。また戸袋窓から妻面にかけて、僅かに車体が絞られている。601 - 685のグループでは、窓の上下には半丸鋼棒によるウインドヘッダー、水切りを兼ねるガッターライン、それにウインドシルを全て露出した状態で取り付け、腰板の中央部を垂下させて主要機器を覆い隠し

三重交通

近鉄グループホールディングス > 三重交通グループホールディングス > 三重交通 三重交通株式会社(みえこうつう、略称:三交(さんこう)、英称:Mie Kotsu Co., Ltd.(SANCO))は、三重県の全域と愛知県、和歌山県、奈良県、京都府の一部で乗合バス事業と貸切バス事業を運営する近鉄グループの企業である。

鹿児島市交通局600形電車

1959年日立製作所で製造された。台車はコイルバネ式のKS-115を履く。前面の幅が後の車両に比べ若干狭い。主電動機は500形と同様のSS-50を使用している。鹿児島市交通局での日立製作所製の車両は、この4両以降登場していない。 1960年(昭和35年)ナニワ工機(現アルナ車両)製造。台車は鹿児島市交通局初となる空気バネ

東京都交通局12-600形電車

HINERY」2015年7月号研究と開発「都営大江戸線12-600形2次車の概要」27-28頁記事。 ^ 東京都交通局『都営交通のあらまし2015』p.30「経営状況」記事。 ^ 「三菱電機技報」2016年01月号「横長LCD表示器 アーカイブ 2016年10月11日 - ウェイバックマシン ^ a

パシフィック電鉄600形電車

や集電用のポールが設置されており、側面中央部に両開き、右側に片開きの乗降扉が設置されていた。車両重量は28 t(61,700 lbs)と重かったが、単距離での高頻度運転を前提とした設計のため製造当初は出力が低めの主電動機が搭載されており、最高速度も45 km/h(28

京成600形電車

435mmへの改軌に際しては、他の旧型車の多く(200形、510形等)が新造の住友金属工業製FS-28型ウィングバネ台車等に変更された中で、当形式は改軌を考慮して台車が長軸仕様であったためか、台車変更は行われなかった。 その後1962年(昭和37年)- 1964年(昭和39年)に張り上げ屋根の全金属製車体(2100形等と同系)(16

三重交通グループホールディングス

三重いすゞ自動車 エム・エヌ・ボディーワークス 名阪近鉄旅行 三交興業 - 名阪関ドライブインを運営(名阪上野ドライブインは閉店) 御在所ロープウェイ 三重カンツリークラブ 鳥羽シーサイドホテル 三交イン - ビジネスホテルを経営 三交ドライビングスクール - 四日市自動車学校(四日市市)、名四自動車学校(名古屋市)を運営

名鉄ク2090形電車

御車)である。輌(2091)が運用された。 戦争の激化により、名鉄は輸送量増大に対応すべく車両増備が必要となった。そんな中、旧式車輌の購入を考えた。1940年(昭和15年)、名鉄は鉄道省から旧式車輌のホニ5910(1902年新橋工場製の荷物車)の払い下げを受け、自社の鳴海工場で改造。1941年(昭和

名鉄ク2080形電車

車)である。 2両(2081・2082)が運用された。 沿線に工場が急増したことによる工員輸送のため、当時の名鉄は他社からの車両の購入や自社での車両の製造を行っていた。ク2080形は鳴海工場で新製した木造の車体を、廃車となった車両の台車(日車

近鉄ク6321形電車

モ6261形でモニ6251形の台枠部材を流用したことから、車体長はこの流用台枠に従って決定され、新造車であるク6321形も将来の電装を前提として、製造に用いる部材などの統一を図って同寸とした。このため、全長19,100mm、車体長18,300mm、全幅2,730mm、車体幅2,680mmとなっている。

名鉄ク2070形電車

名古屋鉄道で運用された電車(制御車)である。 戦争の激化により、名鉄は輸送量増大に対応すべく車両増備が必要となり、旧式車輌の購入を考えた。1940年(昭和15年)、名鉄は鉄道省から旧式車輌のホユニ5070の払い下げを受け、自社の鳴海工場で車体補強など改造。1941年(昭和16年)、サ2070形(2

名鉄ク2180形電車

て「既ニ製作者トノ契約ヲ締結致シ車輌統制会ノ内諾ヲ得目下製造工程相当進捗」と説明されていたものの、現車は結局落成せず、本形式は2両のみの導入に留まった。 構体主要部を普通鋼製とした、車体長16,000 mm・車体幅2,700 mmの半鋼製車体を備える。ただし台枠については廃車発生品あるいは日本鉄道