Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Todaii Japanese
Switch language – current: th
Logo Japanese
[email protected]
(+84) 865 924 966
315 Truong Chinh, Ha Noi
www.todaiinews.com
DMCA.com Protection Status

เกี่ยวกับ Todaii Japanese

เรื่องราวแบรนด์คำถามที่พบบ่อยคู่มือผู้ใช้ข้อกำหนดและนโยบายข้อมูลการคืนเงิน

โซเชียลเนตเวิร์ค

Logo facebookLogo instagram

เวอร์ชันแอป

AppstoreGoogle play

แอปอื่น

Todaii German
Todaii English
Todaii Chinese
Todaii Korean
DMCA.com Protection Status

ลิขสิทธิ์เป็นของบริษัท eUp Technology JSC

Copyright@2026

พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

九二式戦闘機

その後、試作3号機まで生産され審査が続けられたものの、墜落事故の発生や機体の強度不安の問題の発覚、優れた性能の九一式戦闘機の生産、配備開始等の事情から、本機の実用化は困難という意見が陸軍内で出るようになった。しかし1931年(昭和6年)の満州事変勃発にともない、戦闘機を短期間に大量に配備する必要が出てきたため、陸軍では本機の

คำที่เกี่ยวข้อง

九七式戦闘機

桁は軽い前進角を持つ。本形式はその後一式戦「隼」(キ43)・二式戦「鍾馗」(キ44)・四式戦「疾風」(キ84)の、設計主務者小山悌による一連の中島製単座戦闘機に採用され続けた。プロペラも糸川と同じく新任技師の佐貫亦男(日本楽器製造)が担当した。剛性向上と軽量化を図るため、通し桁

九五式戦闘機

川崎では本機の改良を進め、1937年(昭和12年)に完成した三型(キ10-III)案(キ10性能向上第二案型)はエンジンの出力増大、密閉風防の採用、冷却器の改良、張線の洗練などで最高速度445km/hを得て、同時期のソ連のI-153に匹敵する「究極の複葉戦闘機」と言えるものであったが、時代は複葉機から単葉機

九一式戦闘機

この他にプロペラのみが保存されているケースもあり、奈良県大和郡山市の矢田坐久志玉比古神社の山門には、「航空祖神」の板碑と共に九一式戦闘機のプロペラが掲げられている。同様に、長崎県長崎市のつりがね堂薬局の正面入り口には、シンボルのつりがねの下に創設者が日本陸軍に戦闘機を寄付したお礼として寄贈されたプロペラが掲げられている。

二式水上戦闘機

終戦時24機が残存していたが、これらの機体も戦後処分されて現存機体はない。主フロートが大刀洗平和資料館(現・筑前町立大刀洗平和記念館)に展示されていたが、現在は展示されていない。 ミクロネシア連邦チューク州ウエノ島(戦時中は「春島」と称した)近海で2015年に地元住民により沈んでいる水上機が発見され、12月に水中写真家の戸

二式単座戦闘機

中島 キ44 二式戦闘機「鍾馗」 1945年撮影の二式戦二型乙(キ44-II乙) 用途:戦闘機 分類:重単座戦闘機 設計者:小山悌、森重信、内田政太郎、糸川英夫 製造者:中島飛行機 運用者: 大日本帝国(日本陸軍) 初飛行:1940年10月 生産数:1,225機 (キ44試作1号機からキ44-III試作機まで)

二式複座戦闘機

大日本帝国(日本陸軍) 初飛行:1941年5月 生産数:1,690機 運用開始:1941年10月 退役:1945年8月15日 運用状況:退役 表示 二式複座戦闘機(にしきふくざせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。計画名称(試作名称、キ番号)はキ45改。愛称は屠龍(とりゅう)。略称・呼称は二式複戦、

二式練習戦闘機

九六式四号艦戦をベースに、操縦席の後ろに教官席を設け複操縦式とし、胴体の両側面に安定鰭を設けた機体。生産数は、渡辺で4機、二十一空廠で20機の合計24機。 同じA5M4-Kの記号に、九六式練習用戦闘機がある九六式艦上戦闘機の胴体側面に安定鰭を取り付け、主脚の車輪覆を撤去した機体である。 零式

九五式艦上戦闘機

の光に変更するだけの改良で済ます予定だったが、エンジン換装による重量増大や航続力低下に対応するために結局大幅な設計変更を行うことになった。 試作1号機は1934年(昭和9年)秋に完成したが、エンジンのトラブルや視界不良、航続力不足が指摘され、これらの改修に手間取ったため正式採用は1936年(昭和11

九六式艦上戦闘機

の気流が剥離する失速に至る。テーパー翼 (先細翼) では翼弦長の短い翼端部から失速が始まり胴体側に広がっていく。また、一様流と翼弦のなす角度により迎角が決まるため単発機でも多発機でもプロペラ後流の外にある翼端部は失速が早く発生する傾向がある。特に離着陸前後の大迎角、低速飛行状態での翼端部の失速

九〇式艦上戦闘機

九〇式三号艦上戦闘機(A2N3) 上翼に5度の上反角をつけ、機体各部が改良。 九〇式複座練習戦闘機(A3N1) 副操縦装置を追加して複座の練習機とした機体。 出典:『日本の名機100選』 [脚注の使い方] ^ 零戦搭乗員会『零戦、かく戦えり!』514頁 ^ 奥宮正武『海軍航空隊全史 上』朝日ソノラマ95頁

四式戦闘機

行実験部実験隊戦闘機班)キ84審査主任(テストパイロット)岩橋譲三少佐は、「これはいける」と笑いながら述べ、設計主務者小山以下の開発スタッフが感涙に咽んだエピソードがある。試験飛行は1〜3号機までは比較的順調に進み好成績を収めたが、量産型のハ45を搭載した4〜7号機ではエンジンとプロペラのトラブル

三式戦闘機

運用状況:退役 表示 三式戦闘機(さんしきせんとうき)「飛燕」(ひえん)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機である。開発・製造は川崎航空機が行い、1943年(昭和18年)に制式採用された。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である。 当時の日本で唯一の量産液冷戦闘機であり、ドイツの

一式戦闘機

形容された旋回機関銃の防御砲火により苦戦を強いられるなど、設計時に想定していない大型爆撃機迎撃に用いるには火力不足であった。第64戦隊長加藤中佐機が撃墜されたのも、火力不足を補うためにイギリス空軍のブレニムに接近しすぎ、機体引起し時に腹部を晒したことが原因の一つだったとされている。緒戦である南方作戦

五式戦闘機

式戦闘機の液冷エンジンを星形空冷エンジンに換装した改良型である。キ番号(試作名称)はキ100。略称・呼称は五式戦だが、陸軍の各種公文書上では五式戦闘機(あるいは五式戦)の呼称は一度として用いられておらず、キ100とだけ表記される。 他の陸軍機に用いられた公式

戦闘機

敵機を攻撃したり, 味方航空機の護衛あるいは地上戦闘の支援に用いる小型の軍用飛行機。 速力と上昇力に富む。

九二式偵察機

に試作第1号機を完成させた。パラソル式の主翼配置の単葉機で、胴体の大部分と主翼は金属骨格に羽布張りであった。 試作機は構造を頑丈にし過ぎたため重量過多となり、また重心位置の設計がまずく運動性や操縦性が悪かった。しかし主翼や胴体の再設計、エンジンの換装等の改良を重ねた結果陸軍の要求値に

校式二型試作戦闘機

水平尾翼は全動式であった。エンジン260馬力のサルムソン水冷エンジンが搭載された。スパッドS.XIIIより一回り大きい機体となった。 試作1号機は1922年(大正11年)に初飛行した。性能は良好で速度は128 km/hに達した。通常の操縦性は良好であったが、低速時の水平安定性

九九式二〇ミリ機銃

九九式二〇粍機銃(きゅうきゅうしきにじゅうみりきじゅう)は帝国海軍で採用された航空機銃。エリコンFF並びにエリコンFFLをライセンス生産した九九式一号二〇粍機銃並びに九九式二号二〇粍機銃を指す。 日本海軍は研究用に輸入したフランスのドボワチン D.500を参考に、零戦に世界に先駆けて20ミリ機銃

16式機動戦闘車

16式機動戦闘車(ひとろくしききどうせんとうしゃ、英語: Type 16 maneuver combat vehicle, 略称: 16MCV・MCV・キドセン)は、防衛省が開発した装輪装甲車。 16式機動戦闘車は、開発事業名「機動戦闘車」として2007年(平成19年)度に開発が開始され、2016年(平成28年)度の