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รายละเอียดคำ

八九式中戦車

八九式中戦車(はちきゅうしきちゅうせんしゃ)は、1920年代後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の戦車(中戦車)。日本初の国産制式戦車として開発・量産された。秘匿名称「イ号」(「ロ号」は九五式重戦車、「ハ号」は九五式軽戦車)。 先の試製一号戦車の成功を受け、戦車の国産化に

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九八式軽戦車

動車)製のケニAと三菱重工業製のケニBが存在した。審査の結果、ケニAの方が九八式軽戦車として採用された。 車体全高が低く抑えられ、また装甲板の接合に溶接を取り入れたことで、リベット接合の場合、貫通するより先に砲弾の圧でリベットが外れ車内に飛び散ってしまう事が抑えられたほか、最大装甲厚が九五式軽戦車の12

試製九八式中戦車

本車の変速機は前進5段、後進1段であった。 またチホ車は、国産戦車として初めて操向装置に油圧機構を用いたが、これはこれまでの国産戦車に装備された変速機器は複雑な構造をしており、重量が増せば増すほどレバー操作が重く、円滑な操作が困難になったためであり、特に九七式中戦車の段階では許容範囲を超えつつあったとされる。なお、油圧機構の試験結果は満足すべきものだったと言われる。

九七式中戦車

九七式中戦車 チハ(きゅうななしきちゅうせんしゃ チハ)は、1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の主力中戦車である。 1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて総計2,123輌が生産され、九五式軽戦車 ハ号とともに第二次世界大戦における日本軍の主力戦車として使用された。

九一式重戦車

きた。消音器(マフラー)は、機関室の右側面に1つ配置されている。 試作車輌なので、車体は軟鋼製であった可能性がある(一般に試作車輌は、実戦用ではないので耐弾性能が必要無いことと、製造・修正・改造しやすいよう、軟鋼で作られる)。 本車の生産数は1輌と少ない。4年後の1935年(昭和10年)には本車の改

九五式軽戦車

また、主力となる新型戦車は、ある程度の数を揃える必要性と財政上の理由からも、安価な軽戦車とすることが決まっていた。こうして上述の要求(軽くて速くて運用しやすい)を基に、八九式「軽戦車」の後継の、機甲戦力の主力となる戦車として、九五式軽戦車は開発された。1935年(昭和10年)の九五式軽戦車の採用に合わせ、重量の増えた八九式は新たに中

九五式重戦車

tでそれぞれ20 km/h、25 km/hの速力を出しており、本車は重量26 tで 22 km/hを発揮した。本車の登坂能力は三分の二の長斜面を登ることができ、徒渉水深能力は1.1 m、超壕能力は3 mだった。 消音器(マフラー)は、機関室の右側面後方のフェンダー上に1つ配置されていた。

四式中戦車

は途中に箱根峠が存在し、相応の負荷のかかる走行内容であったが、結果はさしたる故障なく終了した。変速機は前進4段、後進1段で、初のシンクロメッシュ方式を採用した。操向装置は国産戦車に従来から使用された遊星歯車式のクラッチ・ブレーキ方式であったが、大重量となったことから油圧サーボを導入し、機動性は良好だ

三式中戦車

戦車砲)の威力不足から連合国軍のM3軽戦車に対し苦戦を強いられた。そこで陸軍では、新鋭対戦車砲である一式機動四十七粍砲をベースとする、一式四十七粍戦車砲に換装した九七式中戦車 チハ新砲塔型(新砲塔チハ)と一式中戦車 チヘを実用化し、M3軽戦車に対抗可能となった。

五式中戦車

型12気筒ガソリンエンジンの採用、エンジンの艤装、整備方法、変速機、操向装置、緩衝機構の型式等である。35tの大重量を動かすため、変速・操向装置に関して意見が集中した。8月28日には4技研で車体構成、半自動装填装置、エンジンの整備方法、変速操向機の確実性、懸架装置と履帯について討論が行われた。9月2

一式中戦車

一式中戦車 チヘ(いちしきちゅうせんしゃ -)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の中戦車。 本車よりも前に配備された中戦車として、主砲に九七式五糎七戦車砲を搭載していた九七式中戦車 チハを本車と同じ一式四十七粍戦車砲へと新設計の砲塔ごと換装した九七式中戦車

九八式三十七粍戦車砲

架と砲尾装脱式砲身をそれぞれ試製した。高射用砲架は抗堪性充分と判定されたが、一〇〇式三十七粍戦車砲砲身を流用した砲尾装脱式砲身は、操用上の見地から機能不十分と判定された。 大阪造兵廠第一製造所の1942年(昭和17年)10月末の火砲製造完成数によれば、この時点での本砲の累積製造数は691門であった

九九式七糎半戦車砲

持たせたものを搭載することが計画された。これを九九式七糎半戦車砲II型と称し、1943年(昭和18年)8月研究開始、同年10月大阪陸軍造兵廠に試作発注、翌1944年(昭和19年)3月完成、同月大津川射場で竣工試験を実施、機能抗堪

九八式臼砲

戦投入され、ブキテマ高地の戦いで初陣を飾った。同戦闘では高地帯に構えるイギリス陸軍陣地に対し3門の本砲が攻撃を行い、その大威力を発揮するとともに大炸裂音と爆煙をもって英軍を圧倒し、友軍地上部隊の士気高揚にも一役買うこととなった。本戦闘では九六式十五糎榴弾砲・九二式十糎加農砲・八九式十五糎加農砲とい

九八式鉄帽

昭和13年8月に審査が終了し制式制定が決定された。 鉄帽本体、褥皮、あご紐、前鉄から構成される。 基本形状は九〇式鉄帽と同一である。表面は艶消し塗装が施されている。内部の褥(じょく)と呼ばれる詰め物、あご紐の構造もほぼ同じだった。ただし、あご紐は20cm延ばされ、褥の芯材にへちまやカポックを用いており、装備の際の衝撃吸収のよさを高めている。

十中八九

⇒ じっちゅうはっく(十中八九)

十中八九

一〇のうち八か九まで。 ほとんど。 たいてい。 十に八九。 じゅっちゅうはっく。 「~成功する」「~は反対されるだろう」

九八式装甲運搬車

九八式装甲運搬車(98しきそうこううんぱんしゃ)は、第二次世界大戦において大日本帝国陸軍が使用した装甲輸送車両。九七式軽装甲車を原型とし、最前線での弾薬輸送用として開発された。 日本陸軍は、最前線での弾薬輸送車両として、トレーラー牽引式の九四式軽装甲車を制式化し

九二式八屯牽引車

「牽引車掛け」一番砲手と三番砲手が右側から、五番砲手が左側から接続作業にかかった。一番が駐鉤(ちゅうこう・フックの開閉装置)を開き、三番が支桿を上げる。牽枠を牽鉤(ひきかぎ・フックの意)にかけた後、一番が駐鉤を閉じる。さらに駐爪・駐栓を挿してロックし、「宣(よ)し」と合図する。各砲手は旧位置に戻る。

九五式野戦力作車

工兵第一中隊がついた。工兵は全員が自動貨車に乗り、装甲作業機を装備した。一般師団工兵の機械化の検討は昭和15年に工兵学校で行われた。工兵連隊は小行李、大行李、器材小隊という従来からの機械化の乏しい編成だった。これに発電車、空気圧縮車、工作車、溶接切断車、力作車、製材車を配備し、自動貨車20両を割り当