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รายละเอียดคำ

山部大楯

「其(そ)の王(みこ)等(たち)、礼(ゐや)旡(な)きに因りて退(そ)け賜へる、是(こ)は異(け)しき事無くこそ。夫(そ)れの奴や、己が君の御手に纒かせる玉釧を膚も熅(あたた)けきに剥ぎ持ち来て、即ち己が妻(め)に与へたり」 現代語訳:「女鳥王たちは不敬であったからしりぞけられたので、これは特に異常なことではない

คำที่เกี่ยวข้อง

楯山部屋

楯山部屋(たてやまべや)は、かつて存在した相撲部屋。 3代仮名頭次平が天保年間に幕内三楯山藤太夫を育てた。 5代大槙幸治は大関若嶌久三郎を育てるが途中で死去。若嶌は明治15年(1882年)6月より二枚鑑札で部屋を継承した。引退後に楯甲久四郎の入幕が決まった直後の明治24年(1891年)1月に死去。楯甲らは粂川部屋へ移籍した。

佩楯山

佩楯山(はいだてさん)は、大分県豊後大野市三重町松尾と佐伯市本匠大字山部との境に位置する標高753.8mの山である。山頂からは豊後大野市三重地区の中心部や由布・鶴見岳、祖母山が見える。大分百山の一つ。山頂には753.76mの一等三角点がある。 見晴らしかきくことから、山頂には放送各社の送信設備や警察

楯

(1)戦闘の際, 敵の矢・刀槍・銃による攻撃から体を隠し, 身を守るための防御用の武具。 手に持って使う持ち盾(手盾)と, 地上に置いて用いる置き盾(掻盾(カイダテ))がある。 (2)自分の身を守るのに都合のいいような手段。 「証文を~に居座る」 <i>~に取・る</i> 防御物とする。 転じて, 口実やいいがかりの手だてとする。 「相手の弱味を~・って攻撃する」 <i>~の半面</i> 物事の一方の側。 全体を見ずに, 物事の一面だけから判断を下す態度にいう。 <i>~の両面を見よ</i> 一面的な見方をせずに, 物事の表と裏との両側からよく見た上で判断せよ。 <i>~を突・く</i> (1)戦いのために楯を地面に突き立てる。 (2)反抗する。 さからう。 たてつく。 「親に~・く」

楯状火山

楯状火山(たてじょうかざん、英: shield volcano)は、緩やかに傾斜する斜面を持ち、底面積の広い火山である。粘性の低い(流れやすい)玄武岩質溶岩の噴出・流動・堆積によって形成される。 地球上の大型火山の多くは楯状火山である。アスピーテと呼ぶこともあるが、現在においてはこの呼称は推奨されない(火山を参照)。

北楯大堰

北楯大堰(きただておおぜき)は、山形県庄内地方の一級河川・最上川下流部の左岸地域に開削された疎水(用水路)である。 1612年(慶長17年)に、最上義光の重臣で狩川城主の北楯利長が10年にわたる新田開発調査を経て、立谷沢川からの灌漑を促進する為に建設した。 1日あたり7400人の作業員などの動員でわ

大山部屋

襲名して1940年(昭和15年)に高砂部屋から分家独立して大山部屋を創設した。1945年(昭和20年)の東京大空襲では、部屋、妻、長女、新弟子をいっぺんに亡くしてしまった。その後、10代大山は1955年(昭和30年)に直弟子・松登を大関に昇進させ、ついに1961年(昭和36年)12月に念願の土俵付

楯鱗

サメ類・エイ類のうろこ。 象牙質の中心に髄があり, 外側はエナメル質におおわれていて, 歯と相同の構造をもつ。 皮歯。

小楯

※一※ (名) 楯。 「木幡の道に遇はししをとめ後姿(ウシロデ)は~ろかも/古事記(中)」 ※二※ (枕詞) 「やまと」にかかる。 「~倭(ヤマト)を過ぎ/古事記(下)」

木楯

楯として身を寄せるもの。 楯の代わりになるもの。 <i>~に取・る</i> (1)楯の代わりとする。 「竹の一むらしげりたるを~・つて/太平記 8」 (2)身を守るために利用する。 「内裏を~・られては我朝敵と成るばかり/浄瑠璃・鎌田兵衛」

手楯

歩兵が手に持ち, 地面に突き立てて防御に用いる木の楯。 持ち楯。

楯座

〔(ラテン) Scutum〕 八月頃の宵に南中する小星座。 射手(イテ)座の北隣りの天の川の中にある。

小楯

楯として身を寄せるもの。 楯の代わりになるもの。 <i>~に取・る</i> (1)楯の代わりとする。 「竹の一むらしげりたるを~・つて/太平記 8」 (2)身を守るために利用する。 「内裏を~・られては我朝敵と成るばかり/浄瑠璃・鎌田兵衛」

楯無

また、『国志』では武田氏滅亡に際して、滅亡の地である田野から勝頼着用の鎧を回収して菅田天神社に納めて楯無鎧と称されたと記し、江戸時代の元文年間には青木昆陽(文蔵)が甲州を調査した際に鎧櫃を見聞し、これを契機に存在が知られ、観覧者が増加し盗難され破損する事件も発生したという(巻109)。

伊予来目部小楯

伊予来目部小楯(いよのくめべ の おたて)または山部小楯(やまべ の おたて)は、日本古代の官吏。豪族。 『日本書紀』・『古事記』・『播磨国風土記』の記述によると、以下の通りになる。 清寧天皇2年(481年)11月、小楯は播磨国司(針間国宰、はりまのくにのみこともち)として大嘗祭(だいじょうさい)

山部

姓氏の一。

山部

大化前代, 大和の朝廷直轄の山林を守ることを職掌とした部民。 やまもりべ。

銀楯隊

銀楯隊(ぎんじゅんたい)、またはアルギュラスピデス(希:Αργυράσπιδες, ラテン文字表記:Argyraspides)は、マケドニアおよびその後継国家で編成された歩兵部隊である。 この歩兵の精鋭3000名からなる部隊は銀の薄板を張った楯と胸甲を装備していたため、このように呼ばれていた。彼らは

後ろ楯

(1)陰にいてあと押しをし, 援助すること。 また, その人。 パトロン。 うしろみ。 (2)背後を守る楯。

御楯組

御楯組(みたてぐみ)は、江戸時代末期(幕末期)に結成された尊王攘夷結社。1862年結成。 1862年、長州藩の高杉晋作は、「薩藩はすでに生麦に於いて夷人を斬殺して攘夷の実を挙げたのに、我が藩はなお、公武合体を説いている。何とか攘夷の実を挙げねばならぬ。藩政府でこれを断行できぬならば……」と論じていた。