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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

巌頭全豁

巌頭全奯(がんとう ぜんかつ)は、中国の唐代の禅僧。諡は清儼大師。俗姓は柯。泉州南安県の出身。 青原行思の下で、仰山慧寂・徳山宣鑑に参じ、徳山の法を嗣ぐ。 光啓3年(887年)、賊に首を斬られて死す。 『祖堂集』巻7 『景徳伝灯録』巻16

คำที่เกี่ยวข้อง

巌頭

高く突き出た大きな岩の上。

豁達

〔古くは「かつだつ」〕 心が大きく, 小さな物事にこだわらないさま。 度量の大きいさま。 「自由~に振る舞う」「兄と云ふのは寧ろ~な気性で/それから(漱石)」 ﹛派生﹜~さ(名)

豁然

(1)ぱっと開けるさま。 ひろびろとしたさま。 「東は眺望~と開きて/獺祭書屋俳話(子規)」 (2)疑いや迷いが突然消えるさま。 「~として此時彼は悟つた/罪と罰(魯庵)」

開豁

※一※ (形動) (1)眺めが広々と開けているさま。 「~なる広野の外に/日本開化小史(卯吉)」 (2)度量の大きいさま。 こせこせしていないさま。 「心胸~にして, 論断公平に/偽悪醜日本人(雪嶺)」 ※二※ (名) 開くこと。 広くすること。 「一層知識を~し/新聞雑誌 37」

鄭豁

鄭 豁(てい かつ、生没年不詳)は、五胡十六国時代の後燕の人物。字は君明。本貫は滎陽郡開封県。玄祖父は鄭渾。高祖父は鄭崇。父は後趙の侍中の鄭略。 384年1月、慕容垂は燕王に即位、これに伴い文武諸官の編成が行われ、従事中郎に任じられた。 太常卿・太子少傅を歴任、済南公に封じられた。 これ以後の事績は、史書に記されていない。

徐豁

徐 豁(じょ かつ、378年 - 428年)は、東晋から南朝宋にかけての官僚。字は万同。本貫は東莞郡姑幕県。 東晋の太子左衛率の徐邈(徐広の兄)の子として生まれた。隆安末年に太学博士となった。元興元年(402年)、桓玄が政権を掌握すると、徐豁は糾弾を受けて免官された。元興3年(404年)、桓玄が敗

巌

(1)地殻を構成するかたい物質。 岩石。 岩体。 (2)石の大きいもの。 盤石。 「一念~をも通す」 <i>~がもの言う</i> 秘密が漏れやすいことのたとえ。 「壁に耳, 岩のもの言ふ世のならひ/幸若・築島」

巌

大きな岩。 大盤石。 「~のように立ちはだかる」「さざれ石の~となりて苔(コケ)のむすまで」

森口豁

森口 豁(もりぐち かつ、1937年 - )は、日本のジャーナリスト。東京都出身。一貫して沖縄県に関わる諸問題を追及し続けている。 玉川学園高等部在学中、沖縄県の言葉についての研究発表を行った一学年後輩の金城哲夫と知り合う。この金城の研究発表がきっかけとなり、1956年に玉川学園の教師や他の生徒と

全頭亜綱

全頭亜綱(ぜんとうあこう) Holocephali は、軟骨魚綱 Chondrichthyes の下位分類群。主にギンザメ類を含む。軟骨魚類の中で、古くに板鰓類(サメ・エイ)と分かれてできたグループである。分岐した年代は定かではないが、約4億年前の古生代デボン紀には全頭類

前田利豁

日に家督を長男・利昭に譲って隠居した。明治10年(1877年)8月16日、東京にて死去した。享年55。 父母 前田利幹(実父) 章 ー 柴田元意の娘、側室(実母) 前田利和(養父) 正室 緑操院 ー 岩城隆喜の娘 子女 郁 前田利昭(長男)生母は緑操院(正室) 前田信乃 菊 始 金 前田栄次郎 赤

西村豁通

1964 『日本の労働組合運動』ミネルヴァ書房 1970 『現代社会政策の基本問題』ミネルヴァ書房 1989 『冬崩る 歌集』啓文社 1989 『落暉』啓文社 1994 『航跡 歌集』豁友会 2001 『日本の賃金問題』吉村励共著 ミネルヴァ書房 1960 『労働運動と構造改革』編著 三一書房 1962

野田豁通

野田 豁通(のだ ひろみち、1844年9月6日(天保15年7月24日) - 1913年(大正2年)1月6日)は、日本の武士(熊本藩士)、陸軍軍人、陸軍経理組織の創設者。陸軍主計官のトップである陸軍省経理局長を務めた。最終階級は陸軍主計総監(後の陸軍主計中将)。

巌稜

岩の露出した山稜。 岩尾根。

巌壁

壁のように切り立った岩。

巌松

大きな岩の上に根を張っている松。 「~高くそびえて/平家 10」

巌穴

岩のほら穴。

奇巌

珍しい形の大きな岩。 「~怪石」

元巌

ま死去した。元巌の死後、楊秀の無法を止めることのできる属僚はおらず、楊秀は罪に落ちることとなった。文帝は「元巌がもしいれば、わが子はこうはならなかったろうに」と言って惜しんだ。 子の元弘が後を嗣ぎ、給事郎・司朝謁者・北平通守を歴任した。 『隋書』巻六十二 列伝第二十七 『北史』巻七十五 列伝第六十三