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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

惣年寄

年寄とその下に属する町役人であった。大坂三郷の統治は、大坂城代-大坂町奉行-惣年寄-町年寄-町民(町人・借家人)という体制で行われた。 惣年寄は、元和元年(1615年)、松平忠明が大坂城の城主であった時に天満地子銀取立役

คำที่เกี่ยวข้อง

年寄

江戸時代の年寄は役員として筆頭、筆脇、中改に分かれ、さらに興行権を持つ歩持(ぶもち)と平年寄に分かれていた。歩持は会所に加入金を納め、興行を開催する権利を有していた。平年寄は加入金を納める必要はなかったが、出世の道は閉ざされていた。 興行は2人の歩持が受け持った。興行に伴う収益の分配金は莫大な金額になり、

惣惣

みんな。 全員。 全部。 「何の彼んのと~で六七両がものはある/破垣(魯庵)」

御年寄

、つまり将軍生母となったときであった。したがって、側室の待遇は最高でも御年寄格であった。 ^ 徳川家治の時代は、老女に含有される「上臈御年寄」「小上臈」「御年寄」が「上臈御年寄」に統一されていた。 老女 大奥 大奥 (1968年のテレビドラマ) 大奥 (1983年のテレビドラマ) 大奥 (2006年の映画)

町年寄

江戸の町にだされる触は、「惣触(そうぶれ)」と「町触」の二つにわけられる。このうち、町触は町奉行が自己の権限で町中に発するものである。 触の伝達は、町奉行 → 町年寄 → 年番(としばん)名主 → 町名主 → 月行事(家主) → 町人という順序で行われる。重要な町触

若年寄

江戸幕府の職名。老中に次ぐ重職。本項で詳述する。 幕府と同様に、一部の諸藩に置かれた役職名。本項では簡単に触れる。 若年寄の語感から、俗に「年齢の割に老けた外見の男性」あるいは「若いのに年寄りのような(と考えられている)趣味または考えを持つ者」の意味として使われることがある。 全国支配の担当である老

年寄名跡

ために師匠格だった佐渡ヶ嶽(阿久津川)が提案し協会が新設した制度と言われている。 この最後の例となったのが、吉葉山である。 参考までに借り名跡には(借)を添えた。 1927年(昭和2年)の東西合併前には、東京相撲の年寄定員は88家と定められていた。そのうち現存するのは85家、返上または廃止されたのは3家である。

惣嫁

⇒ そうか(総嫁)

惣領

(1)家を継ぐ子。 あととり。 (2)長男または長女。 (3)上代の地方行政官。 筑紫・吉備(キビ)などの要地に置かれ数か国を統治した。 大宝令施行により大宰府(筑紫総領)以外は廃止された。 すべおさ。 すぶるおさ。 (4)中世, 特に鎌倉時代, 武家社会における一族の長。 一族の祭祀の中心となり, 一族・庶子を統率し, 御家人として鎌倉殿に奉仕した。 (5)すべてを支配すること。 全部を領有すること。 「将軍があとをば母堂の二位の尼~して/愚管 6」 <i>~の甚六(ジンロク)</i> 長男・長女は大事に育てられるため, 弟妹に比べておっとりしているということ。

惣菜

日常の食事の副食物。 ふだんのおかず。

惣嫁

江戸時代, 京坂地方で夜, 街頭に立って客を引いた下級の娼婦。 辻君(ツジギミ)。 そうよめ。

惣髪

(1)男子の結髪の一。 月代(サカヤキ)を剃(ソ)らず, 伸ばした髪の毛全部を頭頂で束ねて結ったもの。 近世, 主に儒者・医者や山伏などが結った髪形。 そうごう。 そうがみ。 (2)束ねたり, 剃(ソ)ったりしないで, 髪の毛を全部後ろへなでつけて垂れ下げたもの。

惣村

惣村の指導者には、乙名(おとな)・沙汰人(さたにん)などがあった。また、惣村の構成員のうち、乙名になる前の若年者を若衆(わかしゅ)といった。 乙名 乙名は長老・宿老・老中・年寄とも呼ばれ、惣村の構成員のうち年齢や経験が上位の者があたった。乙名は元々、村落の祭祀を執り行う宮座(みやざ)の代表者をさしていた

惣滝

惣滝は、燕温泉の温泉街から妙高山への登山道を進み、30分間歩いた場所にある。滝の前には惣滝不動明王がまつられており、行者の姿が現在でも見られる。 そうめん滝(そうめんだき) 燕温泉から妙高山登山道を進み、3分間歩いた場所から右手に見える。高さ64メートル、幅1メートルから3メートル、

餅惣

連続テレビ小説「半分、青い。」を彷彿とさせ、ファンの間で話題となった。 得意客へのサービスから生まれた、水まんじゅうを八角形の枡に入れてかき氷で覆い白蜜をかけた「水まん氷」が販売されており、今では人気メニューとして定着している。 さくらもち -結(ゆい)- 水まんじゅう 水まん氷 最中とサブレ 笑びもち

惣掟

に支えられた惣村を形成するようになった。惣村は、原則としては荘園・公領領主や地頭・守護などによって支配される建前であったが、これら支配者の規制を唯々諾々として受け入れていた訳ではなく、一つの権利主体として、支配者に対し権利の要求を行うことがしばしば見られた。こうした要求活動を通じて惣村の自治権が強

惣管

び、鎮撫使に任命された多治比県守・藤原麻呂・大伴道足は参議であった。 『続日本紀』巻第十一によると、 大惣管(だいそうくゎん)は剣(つるぎ)を帯びて、勅(みことのり)を待つ。副惣管(ふくそうくゎん)は大惣管に同じ とあり、帯剣したままで、天皇の口勅による命令を直接受けることができた。判吏(判官)2人

惣持

惣持(そうじ、天福元年(1233年) - 正和元年(1312年))は真言律宗の僧侶。字は日浄房。叡尊の甥と伝えられている。 大和国の出身で、寛元2年(1244年)、西大寺にいた叡尊の弟子になる。その後、西琳寺の長老となってその再興に努める。その間にも建長3年(1251年)に『四分律注比丘尼戒本』を撰

惣助

惣助(そうすけ、1603年生誕。没年月日不明。) 通称「惣助翁」(渡辺姓を名乗ったという説もある。)秋田県にかほ市象潟町(旧中塩越村)の一百姓。貧しい村の将来を憂い、田に水を引くための灌漑用水路の完成のために心血を注ぐ。 その様子は鬼気迫る有様で、「満三年不眠不休の努力と全私財を投じて開通せられたるものにして・・・」と現在の

寄り寄り

〔「より(度)」を重ねたものか〕 時々。 おりおり。 「~その話が出た/夜明け前(藤村)」