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玉淀

玉淀(たまよど)は、埼玉県寄居町に所在する県指定名勝。荒川中流域に位置する玉淀河原周辺の総称である。 国の名勝である長瀞とともに「埼玉県立長瀞玉淀自然公園」を形成している。 毎年夏に玉淀河原周辺にて関東一の水祭りと言われている「寄居玉淀水天宮祭」が開催される 玉淀ダム 玉淀湖 玉淀駅 玉淀大橋 寄居駅

คำที่เกี่ยวข้อง

玉淀駅

玉淀駅(たまよどえき)は、埼玉県大里郡寄居町大字寄居にある東武鉄道東上本線の駅である。駅番号はTJ 38。 1934年(昭和9年)4月1日:開業。 1943年(昭和18年)12月26日:休止。 1947年(昭和22年)8月29日:廃止。 1951年(昭和26年)9月7日:再開業。 2020年(令和2年)10月31日:東武竹沢駅

玉淀ダム

玉淀ダム(たまよどダム)は、埼玉県大里郡寄居町、一級河川・荒川水系荒川に建設されたダム。高さ32メートルの重力式コンクリートダムで、かんがい・発電を目的とする、埼玉県営の多目的ダムである。ダム湖(人造湖)の名は玉淀湖(たまよどこ)という。 関東地方を流れる荒川では、1947年(昭和22年)のカスリー

玉淀大橋

法)を用いて架設された。下部工は逆T式直接基礎橋台(右岸)と重力式直接基礎橋台(左岸)および逆T式直接基礎橋脚を組み合わせている。支承における水平反力が大きいことから橋台に水平沓(ゴムバッファ)を設置して変位吸収構造としている。橋脚の高さはフーチング(基礎)も含めて低水路で21.2メートルである。上部工の桁高は最小で1

淀

京都市伏見区の一地区。 宇治・桂・木津の三川の合流点付近にあり, 淀川水運の要港として栄えた。 淀城址が残る。 近世は稲葉氏の城下町。 古来, 薦(コモ)やあやめなどを景物として和歌に詠まれた。 ((歌枕))「山城の~の若薦かりにだに/古今(恋五)」

淀

(1)水が流れずたまったところ。 よどみ。 (2)軒先の広小舞の上にある厚さ4センチメートルほどの平たい横木。 淀貫(ヨドヌキ)。

淀む

(1)流れがとどこおって水がたまる。 「流レガ~・ム/ヘボン」 (2)物事が順調に進まない。 ためらう。 「言葉が~・む」「言い~・む」「人言の繁きによりて~・むころかも/万葉 3109」 (3)水の底に沈んでたまる。 沈殿する。 「水槽の底に泥が~・んでいる」 (4)空気が入れ替わらず, 息苦しい感じである。 「窓を閉め切ったままなので空気が~・んでいる」 (5)沈滞して, 活気がなくなる。 「社内の~・んだ空気を一掃する」

淀屋

売買に発展する事になった(米切手の項も参照のこと)。この淀屋の米市で行われた帳合米取引は世界の先物取引の起源とされている。淀屋の米市は二代目の言當、三代目の箇斎、四代目の重當の時代に莫大な富を淀屋にもたらした。井原西鶴は『日本永代蔵』の中で淀屋の繁栄ぶりを記している。

淀川

が分離され、現在は独立した水系として扱われている。ただし、大和川の旧本流である長瀬川、および平野川が現在でも大和川から分流し、第二寝屋川・寝屋川を経て旧淀川に合流している。 大阪市域は海が近いため地下水には塩気があり、江戸時代には淀川の水が飲料水として使われた。2001年時点では、水環境の研究者の目

淀殿

ければ、いかにもして申受け参らせんとて、様々に心を砕き申させ給へども、更に御免なかりけるを、淀の御方様より、去り難く仰せられ、度々御文を参らせられければ、太閤黙し難くや思召しけん、さらば命計を助くべし、鎌倉へ遣し、尼になせと仰出されける。夫れより早馬にて伏見より、揉みに揉うでうたせけれ

淀藩

異なると言われている。定綱は、1633年(寛永10年)3月に美濃大垣藩に移された。 代わって下総古河藩より永井尚政が10万石で入った。尚政は家臣団の編成や城下町の開発、洪水対策に備えての木津川工事などに尽力し、藩政の基盤を固めた。尚政は1658年(明暦4年)2月28日に隠居して家督を子の永井尚征に譲

淀駅

の西山天王山駅に至るが、阪急の駅は当駅からやや遠い所にある。 淀城跡 妙教寺(淀古城跡) 與杼神社 戊辰役東軍戦死者埋骨地(光明寺跡) - 鳥羽・伏見の戦いの東軍(幕府軍)戦死者を埋骨する地。 伏見区役所淀出張所 京都市消防局伏見消防署淀消防出張所 伏見警察署淀交番 京都府立洛西浄化センター公園 京都淀池上郵便局

淀城

淀城(よどじょう)は、山城国久世郡淀(京都府京都市伏見区淀本町)にあった日本の城。現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。江戸時代には久松松平家、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城した。 淀は「与渡津」(淀の港の意)と呼ばれ、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の

淀村

淀村(よどむら)は、京都府乙訓郡にあった村。現在の京都市伏見区淀樋爪町・淀水垂町・淀大下津町にあたる。 河川:桂川、七軒堀川 水垂および大下津は、淀城の城下町の城外三町のうちの二つであった(もう一つは納所)。水垂・大下津は淀城から見て桂川の対岸(右岸)の堤防上にある水運の

淀橋

淀橋(よどばし)は、東京都新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。および東側にある交差点の名称、現在の新宿駅西口の一帯(新宿区西新宿)を指す地域の旧称でもある。 元々は青梅街道の南側に広がる農村であったが、新宿駅の発展とともに、駅周辺を中心とする繁華街が形成された。さらに、1960年代後半

大淀

やませみ を参照。 四股名 大淀音右エ門 - 竹縄部屋、玉垣部屋に所属した力士。5代竹縄。 大淀谷五郎 - 竹縄部屋、玉垣部屋に所属した力士。5代片男浪。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用

仁淀

仁淀(によど) 地名 仁淀川(によどがわ) - 愛媛県・高知県を流れる一級河川。 自治体名。 仁淀村(によどむら) - かつて高知県にあった村。 仁淀川町(によどがわまち) - 高知県吾川郡にある町。 兵器の名称 日本海軍の大淀型軽巡洋艦2番艦の予定艦名。大淀 (軽巡洋艦)#同型艦を参照のこと。

埼玉県立長瀞玉淀自然公園

この項目に含まれる文字「瀞」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。 「瀞」の文字は公式の表記「」と異なる可能性があります。 埼玉県立長瀞玉淀自然公園(さいたまけんりつ ながとろたまよどしぜんこうえん)は、埼玉県長瀞町、秩父市、皆野町、東秩父村、寄居町、小川町にまたがる県立自然公園。

淀五郎

皮肉屋の團蔵ならではの叱咤激励なのだが、淀五郎には解らない。「親方、どのように判官を務めたらよろしゅうございますか」と團蔵に訊くが、「お前は役者だろ。そんなことも解らない? 本当に腹を切れ。お前みてえな下手な役者は腹を切って死んじまえ」とやりこまれる。

淀古城

一方、淀古城に立て篭もる岩成軍に対しては、木下秀吉(羽柴秀吉)隊が対した。秀吉は淀古城の番頭大炊頭義元、諏訪飛騨守三將らを味方につけ、更に信長は近隣の勝竜寺城城主細川藤孝に出軍を命じ攻城軍に加わった。これに対応するため友通は淀古城を出軍し応戦したようである。防御施設が整っている城からわざわざ討って出