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รายละเอียดคำ

系図纂要

『系図纂要』(けいずさんよう)は、江戸時代末期の系譜集成。全102巻(103冊)。著者は『大日本野史』の著者でもある飯田忠彦とみられる。既存の系譜集や記録などを広く集めて再編纂しており、史料価値が高いとされる。 水戸藩の『大日本史』編纂に対して諸国から情報が集められていたが、そのなかで系図も集まっ

คำที่เกี่ยวข้อง

要図

必要な事項だけを書いた地図。

水府系纂

7冊と目録2巻、附録1巻である。なお、第58巻上と第61巻は欠本となっている。 欠本掲載の諸家 ※ 『水府系纂総目録』によって各家の初代のみ記す。イロハ順。△は絶家。 第58巻上 荷見茂衛門守之 △初山与左衛門収重 △本多諤衛門武貞 別所左兵衛範治(分家有り) 茅根如水伴通 △大岡三大夫信就 吉見軍次直久(分家有り)

系図

侍と称すなど、系図の売買がなされていたことが記述される。江戸時代においては家系図は現在の履歴書のようなもので、武士が仕官する際や、富裕な農民や商人が郷士になったり、苗字帯刀(苗字の公称、大刀と小刀を差すこと)を許される時など、家の由緒を示すものとして必要とされ、装飾的というよりもはるかに実用的な意

婦系図

優たちによる「特別公演」でも、度々上演されている。 婦系図(1934年公開、松竹製作) 監督:野村芳亭、脚色:陶山密、主演:田中絹代、岡譲二 婦系図(1942年公開、東宝製作) 監督:マキノ正博、脚色:小国英雄、主演:長谷川一夫、山田五十鈴 続婦系図(1942年公開、東宝製作)

系統図

系統図(けいとうず) 系統樹 品質管理で使う図 分岐図 - 曖昧さ回避 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。

呂纂

龍飛4年(399年)、病気が重くなった懿武帝は太子呂紹(呂纂の異母弟)を天王とし呂纂を太尉とした。懿武帝は臨終の際「呂紹は非才だが嫡子のため元首になる」と呂紹を常山公呂弘と共に補佐するよう遺言した。こうして呂紹が跡を継いだ(隠王)が、呂紹は呂纂に殺されるのを恐れて位を呂纂に

類纂

同種類のものを集めて編纂すること。 また, その書物。 「記録より要領の事件を抄出~せられ/新聞雑誌21」

論纂

論文を集めた本。 「国文学~」

編纂

いろいろな材料を集めて整理し書物をつくること。 編修。 「国史を~する」

纂訳

(いろいろな書物を)翻訳し, 編集して一つの書物にまとめること。 「矢野文雄大人(ウシ)の~せられし経国美談といへる書/小説神髄(逍遥)」

纂述

材料を集めて文章に述べること。 「市史を~する」

纂修

「纂輯(サンシユウ)」に同じ。

纂録

集めて記録すること。 集録。

苻纂

4月、前秦の益州刺史楊定と共に後秦領の涇陽を攻め、大勝を挙げた。その後、姚萇自らが救援に到来すると、敷陸まで後退した。 9月、前秦の征虜将軍・馮翊太守蘭櫝は2万の兵を率いて頻陽から和寧まで進出し、苻纂は彼と連携して長安奪還を目論んだ。この時、苻師奴は苻纂へ自ら帝位に即くよう勧めたが、苻纂は聞き入れなか

申纂

申 纂(しん さん、生年不詳 - 467年)は、南朝宋の軍人。本貫は魏郡魏県。 申鍾の曾孫にあたる。北魏の道武帝が中山を平定した時、申纂の父祖は一族を連れて南に亡命し、済陰に家を構えていた。宋の孝武帝の時、申纂は平原郡太守となった。後に東平郡太守に転じた。泰始2年(466年)、明帝の即位に対抗する

張纂

高歓の下で行台右丞となり、武定4年(546年)には玉壁の戦いに参加した。東魏軍が山東に帰還しようと晋州に達したとき、おりからの寒雨に遭い、兵士たちは飢え凍えて、死者を出すまでになった。晋州は辺禁をたてに入城させようとしなかった。張纂は別使としてこれに遭遇すると、開門させて兵士た

劉纂

劉 纂(りゅう さん、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の武将。妻は孫権の娘(次女)・孫魯育の二人が確認されている。 嘉禾4年(235年)、廬陵郡の李桓と路合・会稽郡の随春・南海郡の羅厲らの賊徒が時を同じくして蜂起した。孫権は呂岱に詔を下し、劉纂・唐咨らを指揮してそれぞれに分かれて討伐させた。随春はた

呉纂

呉 纂(ご さん、? - 太平元年(256年))は、中国三国時代の呉の人物。揚州呉郡呉県の人。父は呉祺。妻は滕胤の娘。 大伯母の呉夫人は孫堅の妻で、『三国志』に立伝され、彼女の伝に一族と共に記述される。都亭侯の父・呉祺が亡くなるとその後を継いだ。 太平元年(256年)10月、呉の政権を取っていた孫

系図買い

(1)貴族の系図を買って家の格を高く見せたこと。 また, その人。 (2)縁組などの際, 系図を重くみること。 また, その人。 (3)「窩主(ケイズ)買い」に同じ。