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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

肱

[かいな]
※一※ (名)
肩からひじまで。 二の腕。 あるいは, 肩から手首までの間。 うで。
※二※ (接尾)
助数詞。
(1)舞の手を数えるのに用いる。
「二~三~舞ひ翔つて/盛衰記 3」
(2)円柱状の物の太さを両手にかかえて計るのに用いる。
<i>~を返・す</i>
相撲で, 相手に上手まわしを取られないように, 自分が下手をさしてその腕を上げる。

肱

[ひじ]
(1)上腕と前腕とをつなぐ関節。 また, その折り曲げたときの外側の部分。
「~をつく」
(2){(1)}の形に曲がって突き出ているもの。
(3)「肘鉄砲」に同じ。
<i>~を食(ク)わ・せる</i>
「肘鉄砲(ヒジデツポウ)を食わせる」に同じ。
<i>~を張・る</i>
威張って振る舞う。 肘張る。
「党を建て~・る者, 洛中に充満して/太平記 12」
<i>~を曲・げる</i>
〔論語(述而)〕
肘を曲げて枕とする。 また, 清貧を楽しむ。
→ 曲肱の楽しみ

คำที่เกี่ยวข้อง

股肱

〔「股」は足のもも, 「肱」は手のひじ〕 自分の手足のように信頼している忠義な家来。 腹心。 「~の臣」「妾は磯山が~の者なり/妾の半生涯(英子)」

肩肱

肩と肘。 <i>~張・る</i> 肩をそびやかし, 肘を張る。 気負うさま, またはいばるさまにいう。 「~・って生きる」

片肱

片一方のひじ。

肱川

中で竹を、建築資材として利用するほかに、竹工芸品が作られ、熊手、籠、竹すだれ、竹刀、物差しなどが製造され、この付近の伝統的な産業の1つになった。かつては、団扇の骨(丸亀方面に出荷)、和傘の骨(和歌山へ出荷)も製造していた。ほかに桑の木も洪水に強いとされ、推奨された。この関係で養蚕も行われ、大洲は繭の集散地であった。

姜肱

姜 肱(きょう こう、97年 - 173年)は、後漢の隠士・学者。字は伯淮。本貫は彭城郡広戚県。 祖父は豫章太守、父は任城国相をつとめた名族の家に生まれた。 姜肱は五経に広く通じ、天文に明るく、かれのもとで学問しようと遠くからやってきた者が3000人あまりいた。公卿たちは争ってかれを召し出そうとし

奇肱人

奇肱人(きこうじん)は中国に伝わる伝説上の人種である。古代中国では西方に位置する国に棲んでいたとされる。 古代中国の地理書『山海経』の海外西経によると、奇肱国は三身国・一臂国の北にあり、奇肱人は人間の姿をしているが腕がひとつしかなく、また目が三つあるとされている。馬に乗って移動をするという。

宇文肱

宇文 肱(うぶん こう、? - 526年)は、北魏末の武人。本貫は代郡武川鎮。宇文泰の父。北周の徳皇帝と追尊された。弟は宇文阿頭(北周の虞国公宇文興の祖父)。 宇文韜の子として生まれた。524年、沃野鎮で破六韓抜陵が北魏にそむいて乱を起こし、衛可孤が武川鎮を落とすと、宇文肱

肱川町

肱川町(ひじかわちょう)は、愛媛県の南予地方にあった町。肱川の中流域に位置する。2005年(平成17年)1月11日、大洲市、長浜町、河辺村と合併し、新しい大洲市となった。 愛媛県の中南部、大洲市(旧)の南に接し、肱川の中上流域に属する。肱川及びその支流に沿ってわずかな平地が開け

高阿那肱

の軍が平陽に現れた。後主が「戦うべきか、戦わざるべきか」と阿那肱に訊ねたため、阿那肱は「戦ってはいけません。高梁橋を守りましょう」と答えた。対して安吐根が主戦論を唱えたので、後主は決めかねていたが、内臣たちが「彼も天子なら、我も天子です。彼は遠くからやってきたのに、我がほうが何で守って弱きをお示しに

安倍肱主

年(884年)3月に光孝天皇の即位後間もなく弾正少弼に任ぜられ、再び記録上に現れる。同年4月には前年に発生していた筑後守・都御酉殺害事件の推問を行うために、推問筑後国司殺害使として大宰府に派遣される。同年7月に本来犯罪に対する推断は事件が発生した場所で行うこととなっているが、今回の事件では大宰大監

肱岡靖明

」『videonewscom2022-10-20 - YouTubeチャンネル [脚注の使い方] ^ 「都市ノンポイント汚染源負荷量調査に基づく地表面特性を考慮した堆積負荷流出モデル解析」にて東京大学 博士 (工学) 甲第16036号 2001-03-29 ^ 『情報・知識&オピニオンimidas』

肱川あらし

611249833度 東経132.48622000度 / 33.611249833; 132.48622000)がある。 肱川あらしが吹いているときには、冷気移流に伴う逆転層が河口に形成されるとした調査例もある。 内陸の大洲盆地と肱川河口のあいだで2hPaほどの気圧差が生じると、肱川あらしは10m/sの風速

大洲肱南インターチェンジ

大洲肱南インターチェンジ(おおずこうなんインターチェンジ)は、愛媛県大洲市柚木にある、松山自動車道(大洲道路)のインターチェンジである。 大洲IC - 大洲北只IC間は、高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路であり、通行料金は無料のため当ICには料金所が設置されていない。 1991年(平成3年)3月19日 :

大曲駒村

『東京灰燼記 関東大震火災』中公文庫(1981) 『川柳岡場所考』書物展望社 1938 『川柳辞彙』全16巻 川柳辞彙刊行会 1939- 『浮世絵類考』校 曲肱書店 1941 『川柳大辞典』2巻 編 日文社 1955 『定本末摘花通解』富士崎放江共編著 岡田甫増補 書痴往来社 1956-1958 『川柳大辞典』編著

アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ

カトリック古典文芸叢書 1949 『ユダヤ人のブナの木』番匠谷英一訳 岩波文庫 1953 『ドロステの詩』山田博信訳 築地書館 1984 『ユダヤ人のブナの木』曲肱楽聴訳 森本五良校閲 星湖舎 2007 ドロステ・ヒュルスホフ 『ユダヤ人のぶなの木』 番匠谷英一訳、岩波文庫、1953年

二十四式太極拳

Shǒuhūi pípā 手挥琵琶 しゅきびわ 手で琵琶をかなでる 6 左右倒巻肱 ズゥオ ヨウ  ダオジェアン ゴン ズオヨウダオジェンゴン Zuǒyòu dàojuǎngōng 左右倒卷肱 (倒捲肱) さゆうとうけんこう 左・右肘逆まわし 7 左攬雀尾 ズゥオ ラン チュエ ウェイ ズオランチュウウェイ

鎌田柳泓

りゅうおう、宝暦4年1月1日(1754年1月23日) - 文政4年3月11日(1821年4月13日))は医師、石門心学の心学者である。諱は鵬、字は図南、通称は玄珠。柳泓は号であり、別号に曲肱庵がある。ヨーロッパでの進化論とは独立して、進化論を著書に残したとして紹介されることが多い。著書に『理学秘訣』(1816年)などがある。

十八在訣

伝わる理論書の九種の中のひとつ。楊班侯から牛連元。牛連元から呉孟侠に伝わる。 十八在訣   楊班侯 伝 掤在兩臂、捋在掌中、 擠在手背、按在腰攻、 採在十指、挒在兩肱、 肘在屈使、靠在肩胸。 進在雲手、退在轉肱、 顧在三前、盼在七星、 定在有隙、中在得横。 滞在雙重、通在單輕。 虚在當守、實在必衝。