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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

臼砲艦

するために1770年代以降のイギリス臼砲艦はシップ形式で設計されるようになる。3本マストの臼砲艦は砲炎から索具を保護するために艦の前部のマストに鎖を使っていることが多かった。 臼砲は当時の海軍で榴弾を使用する唯一の火砲だった。当時は榴弾を大量に貯蔵している船が発砲する

คำที่เกี่ยวข้อง

臼砲

砲身が短く射角の大きい近距離用火砲。 遮蔽(シヤヘイ)物の陰や反対斜面の射撃に適する。

艦砲

軍艦に装備してある砲の総称。 主砲・副砲・高角砲・ロケット砲など。 艦載砲。 「~射撃」

砲艦

軍艦の一種。 沿岸・河川の防備にあたる小型艦。 軽武装で喫水は浅い。

12ドイム臼砲

ドイムとはオランダ独自の単位で実質的にはメートル法の1センチメートルと同じである。 幕末の日本に多数が輸入され十二栂臼砲(じゅうにぼきゅうほう)と呼ばれていた。 戊辰戦争で活躍した後、明治になると陸軍の装備となり各鎮台に4門ずつ配備された。

シュコダ30.5cm臼砲

要員数 15-17 砲弾 287キログラム (633 lb) (light shell) 384キログラム (847 lb) (heavy) 口径 305 mm (12 in) 砲尾 horizontal sliding block 砲架 box trail 仰角 +40° to 70° 旋回角 120°

42cmガンマ臼砲

42cmガンマ臼砲(42センチガンマきゅうほう、42 cm kurze Marinekanone L/16)とは第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて使用されたドイツ軍の重臼砲である。 第一次世界大戦で要塞を破壊する目的で作られた重臼砲の一つで、クルップ社の三番目であったことからガンマの名前を与えられた。基本的な構造は30

九糎臼砲

九糎臼砲(きゅうさんちきゅうほう)、とは日本軍が日清戦争から太平洋戦争まで使用した臼砲である。 1891年(明治24年)に制定された物は青銅製であったが1903年(明治36年)から砲身が鋼製になり大阪砲兵工廠で生産された。 左右旋回角は固定で駐退機を持たない簡単な構造をしている。 日露戦争では十五糎臼砲や二十八糎砲と共に活躍している。

カール自走臼砲

カール自走臼砲(カールじそうきゅうほう、Mörser Karl、Karl-Gerät)は、第二次世界大戦時にドイツで開発・製造された60cm、もしくは54cmという超大口径の臼砲を搭載する自走砲。 「カール」の名は、本砲の開発に携わったカール・ベッカー将軍に因む。試作車も含め計7輛が製造された。なお

Br-5 280mm臼砲

39年内に20門、1940年に25門程度が生産された。 砲架及び揺架はBr-2 152mmカノン砲及びB-4 203mm榴弾砲と共通のもので、車輪ではなく装軌式になっているが、動力は内蔵しておらず、自走することはできない。移動の際には砲架尾部に1軸2輪の車輪を備えた砲車を装着し、砲牽引車による牽引

十五糎臼砲

十五糎臼砲(じゅうごせんちきゅうほう)とは、日本軍が日清戦争から第二次世界大戦まで使用した臼砲である。 九糎臼砲の拡大版として1893年(明治26年)制定。大阪砲兵工廠で試作・生産された。 日露戦争では九糎臼砲や二十八糎砲と共に活躍している。 口径:149.1mm 砲身:1100m 初速:242m/秒

九八式臼砲

戦投入され、ブキテマ高地の戦いで初陣を飾った。同戦闘では高地帯に構えるイギリス陸軍陣地に対し3門の本砲が攻撃を行い、その大威力を発揮するとともに大炸裂音と爆煙をもって英軍を圧倒し、友軍地上部隊の士気高揚にも一役買うこととなった。本戦闘では九六式十五糎榴弾砲・九二式十糎加農砲・八九式十五糎加農砲とい

砲艦サンパブロ

Pablo)における反抗的な水兵の姿を描いた作品。 出演はスティーブ・マックイーン、リチャード・アッテンボロー、リチャード・クレンナ、キャンディス・バーゲン、マコ岩松ら。後に小説家として知られるエマニュエル・アルサンがマラヤット・アンドリアンヌの名で出演している。原作はリチャード・マッケナ(英語版)による196

ノヴゴロド (砲艦)

被覆を追加する改修がなされ、ノヴゴロドの直径は30.8mに増した。通常の搭載量では、艦の喫水は最大4.1m、常備排水量2,531tだった。乾舷はわずか46cmである。甲板は、中央上部に設けられた砲バーベットの方へと傾斜していた。この艦には、バーベットの前方部分に非

ウェーク (砲艦)

」に降伏勧告のための軍使(「ウェーク」へは支那方面艦隊参謀松本作次少佐)が派遣され、「出雲」、「蓮」、「鳥羽」の三艦は「ウェーク」と「ペテレル」が歯向かえば即座に撃沈できるよう、あらかじめ砲の照準を「ウェーク」と「ペテレル」に定めていた。スミス艦長は圧倒的な日本軍に取り囲まれては多勢に無勢と感じ、乗

レディバード (砲艦)

って逃走中」という報を受け、野戦重砲兵第13連隊(橋本欣五郎大佐)は、朝霧の中、船団を射撃したが、その中に本艦が含まれていた。 松井石根大将の宣誓口述書によると「12月11日頃、中国軍は大小の船舶に乗じて揚子江を退却中にして、中には偽りに外国国旗を掲揚するもの少なからざりしにより、第10軍司令官・

パレストロ (砲艦)

80m)、幅42フィート8インチ (13.00m)。蒸気往復動機関1基(2基とも)、角缶2基搭載で、出力930指示馬力。2軸推進で、速力8ノット。装甲は舷側とリダウト120mm、または舷側とシタデル4と3/4インチ。帆装は三檣バーク。大きな衝角を有する。 兵装は203mm施条砲2門、203mm滑腔砲2門、120m

ガルメル (砲艦)

ジョン・エリクソンとアウグスト・ディ・アイリーによる設計で、船体は曲線で出来ており、また平らな二重船底となっている。基準排水量266トン、全長28.5m、最大幅6.83m、吃水1.71m。または満載排水量271トン、全長28.5m、最大幅6.98m、吃水2.29m。

パナイ (砲艦)

メリカ籍タンカーが共に航行した。日本海軍第三艦隊は、揚子江にパナイが進出することを知らせる連絡を受けていたものの、位置の確認に手間どったあげく現地航空部隊に通報していなかった。 12月12日、第二連合航空隊第十二航空隊司令三木森彦大佐は、陸軍からの要請を受け常州飛行場より飛行隊を発進させた。空襲を

伏見 (砲艦)

第二期拡張計画の計画変更により浅喫水砲艦1隻(後の「宇治」)の建造が決定した。 しかし、この艦の吃水(計画2.1m)では揚子江下流域での運用に限られ、揚子江上流域での運用するための更に吃水の浅い砲艦が要望され、1902年 (明治35年) 9月30日に浅喫水砲艦建造が上申されたた。