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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

艮絶串

遠くから見ると尖った長い竹竿(간짓대)の様に見えるため艮絶串という名が付いた。また、“간(艮)”が「竿(간)」で、「절(絶)」が“길다(長い)”の方言である“질”の借音であるとも解釈できる。 別名カンジルクッ( 간질끝)、カンジョラプ(간절압(竿切―))、または日本式に「岬」の字を使い艮絶岬(カンジョルガプ、간절갑)とも呼んだ。

คำที่เกี่ยวข้อง

艮

〔「こん」とも〕 易の八卦の一。 算木で☶の形で示す。 動きのとれないさまを表し, 北東(うしとら)の方角に配する。

艮

方角を十二支にあてていうときの丑と寅との中間の方角。 北東の方角。 鬼門(キモン)にあたる。

儒艮

海牛目の哺乳類。 体長3メートルに達する。 体は紡錘形で, 前肢はひれ状, 後肢は退化し, 半月状の尾びれをもつ。 海草類を食べる。 紅海・東アフリカ沿岸から, 東南アジア・沖縄にいたる浅海に分布。 古来, 人魚に擬せられる。 ザンノイオ。

艮部

上にある会意文字である。その解釈として『説文解字』は「很」(音はコン、もとるの意)であり、目で睨んで互いに譲らないとする。 その他、「狠」(音はコン、凶悪の意)の本字で、振り返った人が目を怒らせて見る様子に象るとしたり、呪眼を象るとした説がある。 偏旁の意符としては眼に関することを示すと思われるが、

王艮

王艮の学問は、格物説に独創性を持ったもので、それは自我を至上として「独善」からの脱却を説くものであった。この場合の「独善」とは、治国平天下(国を治め天下を平らかにすること)の理想を顧みることなく、自己の修養のみにつとめる態度とされる。これに関連して、万物一体の思想も説いた。

串

(1)先端のとがった, 鉄・竹・木などの細い棒。 魚・肉・野菜・だんごなどを刺してあぶったり干したりするのに使う。 「~刺し」「~焼き」 (2)蝋燭(ロウソク)のしん。 「ちやくちやくと取れ蝋燭の~/犬子集」 (3)玉串。 「其の御幣の~に書き付けて/今昔24」

孟艮府

1405年(永楽3年)、明により孟艮禦夷府が置かれた。孟艮禦夷府は雲南省に属し、刀氏が土司として知府を世襲した。正統年間にその地の多くは木邦に併呑された。 1659年、南明の永暦帝がミャンマーに逃れると、李定国が孟艮に拠った。清代には孟艮はミャンマーのタウングー王朝やコンバウン王朝に属した。

目串

見当。 目ぼし。 目あて。 「~をつける」 <i>~が抜・ける</i> 疑いがはれる。 「悪く口を利きなさると目串は抜けませぬぞ/歌舞伎・三人吉三」

玉串

玉串(たまぐし・たまくし)とは、神道の神事において参拝者や神職が神前に捧げる紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊の枝である。 櫟(北海道)やガジュマル(沖縄県)の枝などを用いることもある。また、神宮大麻の祓い串のように参拝の証として持ち帰り、千度祓い万度祓いを行う例もある。

牛串

牛串(ぎゅうくし)とは、牛肉を串などで串刺しにした日本の肉料理。 牛串煮込み・牛ホルモン串煮込みをメニューとしている店もある。煮込み料理もあるが、あぶり焼きした料理(串焼き)も多い。 串焼き 発祥した地域や時代に関しては定かではないが、焼き鳥から派生したものだと考えられており、豚肉を使用した場合は

串本

串本(くしもと) 串本 (日高川町) - 和歌山県日高郡日高川町の大字。 串本 (串本町) - 和歌山県東牟婁郡串本町の大字。 このページは地名の曖昧さ回避のためのページです。一つの地名が2か所以上の場所に用いられている場合の水先案内のために、同じ地名を持つ場所を一覧にしてあります。お探しの場所に一

竜串

の波食、風食作用によって岩肌に無数の襞と甌穴を生み出しているのが特徴。屏風岩がよく知られるほか、博打岩、人魚御殿などの見所がある。四国八十八景41番。 この竜串・見残し一帯は化石の宝庫でもあり、貝類を始め、パイプと呼ばれる生痕化石が多く見られる。他に波食による漣痕も多く確認できる。 周辺の

串カツ

昭和1』久我義男 『甘い世の中』吉岡鳥平 『小資本にして一躍成金たる金儲』高橋北堂(1917年(大正6年)、成々堂書店) 『食通 1936年(昭和11年)7月号』穐村要作 ウィキメディア・コモンズには、串カツに関連するカテゴリがあります。 カツ 豚カツ - 一口カツなど 二度漬け禁止 シティチキン(英語版)

家串

権現には大きな草鞋が奉納されている。これは家串の端から端までを一歩で行くことができるほど大きな男がいると疫神に思わせることによって、この地域を災厄や悪疾から守る目的がある。 家串龍王権現は、油袋との山境にある社。1870年(明治3年)の神社明細取調帳では「龍神社」となっており、同資料によると綿津見命

串駅

串駅(くしえき)は、愛媛県伊予市双海町串にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線(愛ある伊予灘線)の駅である。駅番号はS10。標高20.2 m。 1964年(昭和39年)10月1日:日本国有鉄道の駅として開設。無人駅。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

安積艮斎

給せられる。艮斎は朱子学だけではなく、危険視されていた陽明学など他の学問や宗教も摂取した新しい思想を唱え、また、外国事情にも詳しく、海防論の論客としても知られた。 天保14年(1843年)に二本松藩校敬学館の教授となり150石を給せ

中岡艮一

が長続きせず辞めて、1919年(大正8年)11月から山手線大塚駅の駅夫見習い、のち大塚駅の転轍手(線路の分岐器を操作する仕事)となる。 大塚駅在職時の1921年(大正10年)、当時の首相・原敬の政策に反感を抱き、同年11月4日夜、東京駅乗車口(現在の丸の内南口)において立憲政友会京都支部大会へ赴く

井関盛艮

井関 盛艮(いせき もりとめ、天保4年4月21日(1833年6月8日) - 明治23年(1890年)2月12日)は、幕末の宇和島藩士、明治期の官僚・実業家。初名は峰尾・字は公敦。通称は斎右衛門。書によっては名を「盛良」(もりよし)とするものもある。 藩主伊達宗城に仕え、安政6年(1859年)に山奉行

後藤艮山

開いた。「一気滞留論」を唱え、治療は灸を施し、熊胆、蕃椒(トオガラシ)を服用させ、湯に入ることを奨励したので、「湯熊灸庵」と評された。『傷寒論』のみでなく、『黄帝内経』『難経』なども参考にし、卑近な材料を用い、民間医療も取り入れた。空理を避けて、親試実験を説いて、古方派の範とされた。医書を著すこと