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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

菊の間

菊の間(きくのま)は、江戸城の表座敷の一つである。 元治元年の仮普請図によれば、南は廊下をへだてて紅葉の間に隣し、北はただちに雁の間、東は表右筆所に近く、西は入側をへだてて雨落のむこうはるかに松の廊下に相対する。 ふすま絵が、籬にキクであることからこの名がついた。

คำที่เกี่ยวข้อง

菊間

天正11年(1583年)12月13日付の里見義頼寺領充行状(田代文書)に、上総国市原荘の一角の「菊間之郷」を正善院に宛行うとの記載がある。軍記物『房総治乱記』によれば天正13年(1585年)、佐倉城主千葉邦胤を殺害した桑田万五郎が菊間で討たれた。天正18年(1590年

菊間藩

廨」(「廨」は役所の意)について言及があり、稲荷神社の南西側にある数千歩の畑地がその跡地であるとする。公廨の高楼には時鐘も設置されていたとあり、藩庁と知藩事邸(御殿)が混同されている可能性がある。 ^ 『千葉県市原郡誌』によれば、木更津県に移管されたのは「公廨

菊間瓦

菊間瓦(きくまがわら)は、愛媛県今治市の菊間地区で生産されている瓦である。また鬼瓦の生産も行われている。 香川県のさぬき土が60%、菊間町の五味土が40%配合される。 混合されるそれぞれの原土は粒度鉱物組織含水率(粘り気)や成分などが違い、安定した原土を作るために機械でより粉砕し、適度な湿気を与え練り合わせる。

菊間駅

菊間駅(きくまえき)は、愛媛県今治市菊間町浜にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である。駅番号はY45。 かつては一部の急行列車が停車しており、1988年4月ダイヤ改正時点では、下り「うわじま」1号と「いよ」3号が停車していた(上りは全列車通過)。 1925年(大正14年)6月21日:鉄道省によって開設。

菊間町

町制施行、菊間町となる。 1920年(大正9年) - 今治自動車商会が今治〜菊間間で定期便(バス)の運行開始。 1925年(大正14年) 4月1日 - 歌仙村を合併。 6月21日 - 讃予線伊予大井駅〜菊間駅間が開通し、伊予亀岡駅・菊間駅が開業。 1927年(昭和2年)4月3日 - 讃予線菊間駅〜伊予北条駅間が開業。

菊間千乃

凍りつき騒然となる流れがすべて放送されていた。結果、全治3カ月の重傷(腰椎の圧迫骨折)を負い入院した。後年、『徹子の部屋』に出演してこの時のことを振り返った際、「落下して地面についた時から記憶と意識がなく、気が付いたら病院のICUにいまし

菊間崇祠

菊間 崇祠(きくま たかし、旧名:卓、1934年3月20日 - )は、八王子実践高等学校女子バレーボール部の元監督である。 東京府東京市池袋出身。 1956年中央大学法学部を卒業後、1958年から八王子実践高校に社会科の教員として赴任し、バレー部顧問をかって出る。

菊の前

山田には、かつて与楽山千手院円満寺という立派な寺があり、現在は廃寺となっているが、この寺の跡地は、現在も墓地として使用されており、その真ん中には寺の住職の墓であろう卵塔や山田一族の墓であろう五輪塔がいくつか残っているが、あるいは、このうちのひとつが菊の前のものであろうと思われるが定かではない。

菊

(1)キク科の多年草。 葉は卵形で波状に切れ込み, 鋸歯がある。 頭花は大小様々で小菊・中菊・大菊の別があり, 一重また八重。 色は白・黄・赤など多様。 主に秋に咲く。 古く中国から渡来したとされ, 観賞に供されてきた。 特に近世以降, 多くの栽培品種が育成された。 花弁を食用とするものもある。 ﹝季﹞秋。 《~の香や奈良には古き仏たち/芭蕉》 (2)紋・模様の名。 菊の花や葉をかたどったもの。 → 菊花紋 (3)襲(カサネ)の色目の名。 表は白, 裏は蘇芳(スオウ)。 裏は青・紫も。 秋に着用。 菊襲(キクガサネ)。

お菊の皿

主まで現れる。そして毎夜、観客たちの前でお菊が皿を数え、9枚になる前に逃げ出すということが繰り返された。 お菊の方も調子に乗って観客に愛想を振りまいたりしだす。ある夜、いつものように満員御礼の中でお菊が現れ、皿を数えだす。ところが、いつもより数えあげるのが早い。客たちも慌てて逃げようとするが、混雑し

野菊の墓

の写真があり、ここまで想っていたとは知らずに縁談を進めたことを、民子の実家の家族は後悔していた。民子の墓に参った政夫は、不思議と周囲に野菊が繁っているのを見る。市川へ七日通って墓一面に野菊を植えた政夫は、決然として学校へ戻って行った。 森由岐子『野菊の墓』世界文学漫画全集 1959年 -

十日の菊

菊」の名は、主君への一般的忠節を表しているが、すでにその菊(忠節)は、9月9日の重陽の佳節をすぎて廃物となった「十日の菊」と化していることを寓意させている。第13回(1961年度)読売文学賞(戯曲部門)を受賞。 1961年(昭和36年)、『文學界』12月号に掲載され、初演はその号の発売直後の

菊の着綿

菊の着綿(きくのきせわた)とは重陽の節句に行われる宮中の習慣。重陽の季語でもある。「きせわた」は「被綿」とも。 平安時代の貴族の習慣で、重陽の日に菊の花に植物染料で染めた黄色の真綿を被せ、明くる早朝に朝露を含んだ綿を菊より外し、その綿で体を拭えば菊の薬効により無病であるという。 中国の

野菊

野菊(のぎく)とは、野生の菊のことである。よく似た多くの種があり、地域によってもさまざまな種がある。 一般に栽培されている菊は、和名をキク(キク科キク属 Dendranthema grandiflorum (Ramatuelle) Kitam.)と言い、野生のものは存在せず、中国で作出されたものが伝

菊科

双子葉植物の一科。 最も分化の進んだ大きな一群で, 世界各地のあらゆる環境下に一〇〇〇属二〇〇〇〇種余りが生育する。 ほとんど草本。 いわゆる花は舌状花または管状花が多数集合した頭状花序で, 属ごとに一定の組み合わせがみられる。 観賞用としてキク・ダリヤ・マリーゴールド・コスモスなどが, 食用としてチシャ(レタス)類・シュンギク・フキ・チコリなどがある。 また, ブタクサ・ハルジョオン・セイヨウタンポポなど多数の帰化植物がある。

浦菊

キク科の越年草。 海辺の湿地に生える。 高さ約1メートル。 葉は狭披針形。 秋, 茎頂付近が分枝し, 径約3センチメートルの紫色の頭花を多数開く。 ハマシオン。

菊花

⇒ きくか(菊花)

白菊

「しらぎく(白菊)」に同じ。

菊花

〔「きっか」とも〕 (1)菊の花。 (2)菊の花の文様。 (3)六種(ムクサ)の薫物(タキモノ)の一。 菊の香に模したもので, 丁子香(チヨウジコウ)・沈香(ジンコウ)・麝香(ジヤコウ)などを練り合わせる。 秋の薫物。