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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

諧鐸

東京大学東洋文化研究所所蔵の「雙紅堂文庫」に乾隆57年(1792年)刊本『諧鐸十二卷』1帙6冊が収蔵されている。影印 ――12巻の内訳―― 卷一 「狐媚」「虎痴」「雞淡」「獺祭」「蟻封」「龜鑑」「兔孕」「雉媒」 卷二 「屏角相郎」「筆頭減壽」「討貓檄」「祭蠹文」「隔牖談詩」「垂簾論曲」「考牌逐腐鬼」「妙畫代良醫」 卷三

คำที่เกี่ยวข้อง

鐸

「たく(鐸)」に同じ。 「鉄(クロガネ)の~を作らしむ/古語拾遺」

鐸

(1)中国古代の鈴の一種。 銅または青銅製の扁平な釣り鐘形で, 中に舌があり, 上方の細長い柄を持って振り鳴らす。 舌が木製のものを木鐸(ボクタク), 金属製のものを金鐸という。 ぬて。 ぬりて。 さなき。 鐸鈴。 (2)風鈴。

鐸

「ぬりて(鐸)」に同じ。 「浅茅原小谷を過ぎて百伝ふ~響(ユラ)くも置目来らしも/古事記(下)」

鐸

「たく(鐸){(1)}」に同じ。 上代, 合図のために用いた。 「~を懸けて, 謁者に労(イタワ)ること無かれ/日本書紀(顕宗訓)」

宝鐸

(1)堂や塔の四隅の軒につるす大形の鈴。 風鐸。 ほうたく。 (2)銅鐸(ドウタク)の美称。

宝鐸

⇒ ほうちゃく(宝鐸)

諧和

〔「かいか」とも〕 (1)やわらいで親しみあうこと。 協調。 (2)音・調子などがよく整うこと。

俳諧

〔たわむれ, おどけ, 諧謔(カイギヤク)の意〕 (1)〔「俳諧の連歌」の略〕 日本独自の短詩形文芸形式の一。 「座(共同体)」の意識のもとに成立し, 「滑稽」を本質とする文芸。 発句(ホツク)・連句・前句付・俳文などより成る。 室町末期の山崎宗鑑・荒木田守武らによる滑稽・卑俗な作風を受け, 江戸時代に松永貞徳が出て独自なジャンルとして確立。 談林俳諧を経て松尾芭蕉の蕉風に至って文学的に高められた。 → 俳句 (2)「俳諧歌(ハイカイカ)」の略。

誹諧

〔たわむれ, おどけ, 諧謔(カイギヤク)の意〕 (1)〔「俳諧の連歌」の略〕 日本独自の短詩形文芸形式の一。 「座(共同体)」の意識のもとに成立し, 「滑稽」を本質とする文芸。 発句(ホツク)・連句・前句付・俳文などより成る。 室町末期の山崎宗鑑・荒木田守武らによる滑稽・卑俗な作風を受け, 江戸時代に松永貞徳が出て独自なジャンルとして確立。 談林俳諧を経て松尾芭蕉の蕉風に至って文学的に高められた。 → 俳句 (2)「俳諧歌(ハイカイカ)」の略。

諧声

(1)調和する声。 (2)「形声(ケイセイ)」に同じ。

諧調

音楽のリズムや絵画の色彩などのよく調和のとれた調子。 快い調子。

諧和

⇒ かいわ(諧和)

李諧

李 諧(り かい、496年 - 544年)は、北魏の官僚・文人。字は虔和。本貫は頓丘郡衛国県。 李平の子として生まれた。成長すると、博学で文弁をよくし、才俊として当時に認められた。父の以前の爵位の彭城侯を嗣いだ。太尉参軍から、尚書郎を経て、北海王元顥の下で徐州撫軍府司馬をつとめた。次いで入朝して長

銅鐸

襷文で飾っている。また、吊り下げる鈕の断面形が菱形となっている(I式:菱環鈕式、りょうかんちゅうしき)。しかし、大阪府茨木市の東奈良遺跡から出土した小銅鐸の鈕の断面形は円形である。その後、II式:外縁付鈕式(がいえんつきちゅうしき)、III式:扁平鈕式、IV式:突線鈕式と変遷する。その後鐸自身が大型

元諧

元 諧(げん かい、生没年不詳)は、中国の隋の軍人・政治家。本貫は河南郡洛陽県。 若いとき国子監で楊堅とともに授業を受けて、交友関係を結んだ。後に軍功により、大将軍に累進した。580年、楊堅が丞相となると、召されて側近となった。尉遅迥が乱を起こすと、尉遅迥の派遣した兵が小郷を攻撃したので、元諧

王鐸

1652年)は、明末清初の書家。字は覚斯(かくし)、また覚之、嵩樵(すいしょう)・十樵・石樵・癡庵・煙潭漁叟などと号し、官は礼部尚書に至った。河南府孟津県の人。 背が高く、立派な長い髯で、いかにも中国の高官にふさわしい風貌であったといわれる。 天啓2年(1622年)、30歳で進士の試験に合格し、明朝に仕え翰林院に入って順調に出世し

謝鐸

1488年(弘治元年)、謝鐸は侍講のまま『憲宗実録』の編纂事業に召集された。1490年(弘治3年)、南京国子祭酒に抜擢された。1491年(弘治4年)1月、師儒を選ぶことなど六事を言上した。5月、病のため致仕した。1499年(弘治12年)8月、礼部右侍郎に抜擢され、国子祭酒の事務を管掌した。たびたび辞職を願

魯鐸

魯 鐸(ろ たく、1458年 - 1524年)は、明代の学者・官僚。字は振之。本貫は沔陽州景陵県。 1502年(弘治15年)、進士に及第し、会元となった。翰林院庶吉士に任じられた。1504年(弘治17年)、翰林院編修に進んだ。1505年(弘治18年)、ベトナムの黎朝に対する使節をつとめた。

和諧

和諧(わかい、簡体字: 和谐、拼音: héxié, フーシエ)とは、調和することを意味する漢字熟語。古くから用いられている漢字熟語であり、日本では十七条憲法第15条などでも用例が見られる。現代中国では社会スローガンの1つに選ばれている。 和諧社会。中国共産党が2004年に発表した、各階層間で調和の