Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Todaii Japanese
Switch language – current: th
Logo Japanese
[email protected]
(+84) 865 924 966
315 Truong Chinh, Ha Noi
www.todaiinews.com
DMCA.com Protection Status

เกี่ยวกับ Todaii Japanese

เรื่องราวแบรนด์คำถามที่พบบ่อยคู่มือผู้ใช้ข้อกำหนดและนโยบายข้อมูลการคืนเงิน

โซเชียลเนตเวิร์ค

Logo facebookLogo instagram

เวอร์ชันแอป

AppstoreGoogle play

แอปอื่น

Todaii German
Todaii English
Todaii Chinese
Todaii Korean
DMCA.com Protection Status

ลิขสิทธิ์เป็นของบริษัท eUp Technology JSC

Copyright@2026

พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

靺鞨七部

靺鞨、払涅靺鞨、号室靺鞨、白山靺鞨、黒水靺鞨の七部族に分けている。 『魏書』勿吉伝は、「勿吉國,在高句麗北,舊肅慎國也。邑落各自有長,不相總一。其人勁悍,於東夷最強。言語獨異。」 と記している。金毓黻が著した『渤海国志長編(中国語版)』は、太白山の北に居住する靺鞨諸族の七部族の相互位置関係を明かにし、各部族が200里から300

คำที่เกี่ยวข้อง

靺鞨

と、後に女真族となって金朝・清朝を建国した北の黒水部の2つが主要な部族であった。 靺鞨は、いくつかの大部族に分かれ、そのうち粟末靺鞨、伯咄靺鞨、安車骨靺鞨、払涅靺鞨、号室靺鞨、白山靺鞨、黒水靺鞨の七部族が有力で、靺鞨七部と呼ばれた。 粟末部…高句麗と隣接し、勝兵は数千。 伯咄部…粟末部の北に住み、勝兵は7千。

白山靺鞨

りて居城を築きしは此の地方が彼の故郷なるが故にして、彼は白山部の靺鞨なるにはあらざるか。こはもとより一片の想像に過ぎざるも、上に述べしが如く白山部の靺鞨が高麗の滅亡と共に唐に入れりとせられ、而して唐はかかる夷民を営州に置くが慣例なりしより見れば

粟末靺鞨

粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)は、中国の隋唐時代に外満洲(現在のロシア沿海州)に存在した農耕漁労民族である靺鞨七部のうちの一部である。 渤海国建国者の大祚栄は高句麗に附いていた粟末靺鞨であり、高句麗が滅ぶと、家族を率いて営州に移り住んだ。 万歳通天元年(696年)、契丹首領の李尽忠、孫万栄が反乱を起こ

払涅靺鞨

払涅靺鞨(ふつでつまっかつ)は、現在の中国黒竜江省南部からロシア連邦沿海州南部に住んでいた靺鞨七部の一分派である。7世紀から8世紀前半に突厥に支配されたが、741年以降渤海の支配に入った。 靺鞨七部のうち最も未開であり、隋朝初期に石鍬を用いていた。 ^ a b 井上秀雄『東アジア民族史

安車骨靺鞨

安車骨靺鞨(あんしゃこつまっかつ)は、6世紀後半から中国東北部の松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族である靺鞨の一派。渤海の北進に対抗して鉄利部を中心に統合されたので鉄利部ともいい、かつての勿吉の中心部族である。

服部長七

ちょうしち、1840年(天保11年)9月9日 - 1919年(大正8年)7月18日)は、明治期の日本の土木技術者。 既存のたたきを改良し自ら編み出した人造石工法(長七たたき)により治水・用水分野の工事において業績を挙げた。広島県宇品港の岸壁工事完成の功績などにより緑綬褒章が授与されている。

阿部嘉七

日、齋藤内閣の政友会所属である鳩山一郎文部大臣、三土忠造鉄道大臣の反対を受けながらも茨城県知事として復帰。農村振興に尽力し、新興農場の設置、肥料や製めん機の貸与、農村更生運動などを進めた。左右両翼の社会運動に対しては、警察官の増員と、思想問題研究会や国民精神文化研究所を設置して啓蒙活動を行うことで対

阿部七絵

大学卒業後、ホリプロに入社しマネージメント事業部に所属。2015年には第40回ホリプロタレントスカウトキャラバンの実行委員長を務めた。 妻たちの劇場 ママたちの受験戦争(1991年9月23日 - 1991年11月1日、フジテレビ) - デビュー作 ポンキッキーズ「SUPER P-GAME」(1994年8月1日、フジテレビ)

工部七職

れている。彦根では仏壇店の業務に組み込まれている最終組立てを専門的に行う「仕立師」が存在する。 詳細は不明。 不明。 彦根では塗師が行う「蝋色」を専門に行う「蝋色師」が存在する。 須弥壇を専門に製作する職人が存在する。呂色磨きのみを行う専門の職人が存在する。彩色を行う専門の職人が存在する。 須弥壇を専門に製作する職人が存在する。

宮部寸七翁

が編纂された。師匠である高浜虚子は「かくの如く佳作の多い一家の集は、きわめて稀に見るところである」と句集の序文で称賛している。「血を吐けば現も夢も冴え返る」の句を残し生涯を閉じた。 [脚注の使い方] ^ a b c 日外アソシエーツ『熊本県人物・人材情報リスト2007』、465頁 ^ 松本雅明編著 『城南町史』

田名部七湊

田名部町は湊ではなかったが、田名部川には田名部橋前と呼ばれる舟着場があり、川舟が川内・大平の両湊との間を往来し、ほかの湊から船荷も陸路駄送されて田名部の蔵屋敷に搬送され、また、当地で集積された物資は陸路で大畑・野辺地など周辺の村々に運ばれたため、廻船問屋が許されていた。

俳諧七部集

俳諧七部集(はいかいしちぶしゅう)は、佐久間柳居が編集した俳諧連句撰集。1732年(享保17年)頃に成立。蕉門の代表的な撰集七部十二冊をまと めたもの。 冬の日 春の日 曠野(あらの) ひさご 猿蓑(さるみの) 続猿蓑 炭俵 『芭蕉七部集』中村俊定校注、岩波文庫。ワイド版も刊 『芭蕉七部

七集 (増支部)

21-31 4.天品(Devatā-vaggo) --- 32-43 5.大供犧品(Mahā-yañña-vaggo) --- 44-53 五十所不摂品 6.無記品(Abyākata-vaggo) --- 54-64 7.大品(Mahā-vaggo) --- 65-74 8.律品(Vinaya-vaggo)

浅部和七郎

1843年、窪屋郡小位庄で生まれる。叔父である忠義と木綿栽培、材木業、漁業を営んでいたが成功しなかった。 1876年、開業資金を得て、廃坑となっていた中庄村の猿曳山銅山の再掘を始める。出費がかさむ事から、採掘事業は解散したが、和七郎一人踏みとどまり、新抗を試みていたところ鉱脈に接することに成功した。

七七日

人が死んでから四九日目。 四十九日(シジユウクニチ)。 なななぬか。 「~の法要」

七七日

「四十九日(シジユウクニチ)」に同じ。 なななのか。 「うせ給ひて~のみわざ安祥寺にてしけり/伊勢 78」

七七日

⇒ なななぬか(七七日)

七

〔中国語〕 しち。 なな。

七

なな。 ななつ。 数を数えるときに用いる。 「い, む, ~, や」