テロ事件で死亡の高橋さんの恩師「何も考えられず」

恐怖事件身亡的高橋的恩師表示「什麼也無法思考」

恐怖事件身亡的高橋的恩師表示「什麼也無法思考」
スリランカで同時爆破テロ事件に巻き込まれて死亡した高橋香さんの高校時代の担任だった小町浩一教諭は、「私の教員経験の中で最も印象に残る生徒で、亡くなったと聞いた時には、力が抜けて、何も考えられなくなりました」と胸の内を語りました

在斯里蘭卡遭受同時轟炸恐怖攻擊而身亡的高橋香,他的高中時期導師小町浩ㄧ說出心裡話:「他是我教學生涯中印象最深刻的學生,當我聽聞他的噩耗,實在是渾身無力什麼也無法思考。」

在斯里蘭卡遭受同時轟炸恐怖攻擊而身亡的高橋香,他的高中時期導師小町浩ㄧ說出心裡話:「他是我教學生涯中印象最深刻的學生,當我聽聞他的噩耗,實在是渾身無力什麼也無法思考。」
高橋さんは小学生のころにアメリカにいた帰国子女で、高校時代は運動部に所属し、活発な生徒だったということです

高橋是小學時期在美國生長的歸國子女,高中參與運動社團,是很活潑的學生。

高橋是小學時期在美國生長的歸國子女,高中參與運動社團,是很活潑的學生。
学校では一部の生徒をイギリスにあるボランティアの養成団体に派遣していて、高橋さんは高校2年の夏に4人のメンバーの1人に選ばれ、海外ボランティアの活動などを学んだということです

高橋與學校一部分學生共同被派遣到英國的志工培訓機構,在二年級的夏天被選為其四人之一,到國外學習志工服務。

高橋與學校一部分學生共同被派遣到英國的志工培訓機構,在二年級的夏天被選為其四人之一,到國外學習志工服務。
小町教諭は当時の高橋さんについて「明朗快活で、いるだけでその場が明るくなりました

小町老師回想當時的高橋「他很開朗活潑,只要有他在的地方都會變得很快樂。

小町老師回想當時的高橋「他很開朗活潑,只要有他在的地方都會變得很快樂。
友達も多く、好奇心も旺盛で、私にもどんどん質問してくるタイプでした」と振り返りました

他的朋友很多,好奇心旺盛,是會不停向我提問的類型。」

他的朋友很多,好奇心旺盛,是會不停向我提問的類型。」
最後に会ったのは高橋さんが大学4年のころに高校を訪ねてきた時で、近況の報告を受け、冗談を言い合って笑って別れたといいます

最後一次見面是高橋大學四年級時回訪高中,聊聊近況、說說笑然後告別。

最後一次見面是高橋大學四年級時回訪高中,聊聊近況、說說笑然後告別。
去年、高校の卒業生が集まって開かれたクラス会では、高橋さんは参加しなかったものの、その親友から、高橋さんがスリランカで暮らし、子どもも生まれたと聞いたばかりでした

去年集合了高中畢業生的同學會,高橋並未參加,但從朋友那得知高橋在斯里蘭卡生活,還聽說生了孩子。

去年集合了高中畢業生的同學會,高橋並未參加,但從朋友那得知高橋在斯里蘭卡生活,還聽說生了孩子。
小町教諭は「行動力が人一倍あり、スリランカにいると聞いても全く違和感はありませんでした

小町老師說:「他的行動力比人多一倍,說他在斯里蘭卡的消息完全不意外。

小町老師說:「他的行動力比人多一倍,說他在斯里蘭卡的消息完全不意外。
テロに巻き込まれたと聞いて本当に悔しく、ことばにできません」と肩を落としていました

聽到他捲入恐怖攻擊,我真的很遺憾,無法言語。」說著垂下了肩頭。

聽到他捲入恐怖攻擊,我真的很遺憾,無法言語。」說著垂下了肩頭。
高橋香さんの夫の父親「なんでこういうことに」
スリランカで21日、起きた同時爆破テロ事件で、死亡した高橋香さんの夫は、岩手県北上市の出身です
夫の父親は「まだ子どもが小さいのになんでこういうことになるのか」と心境を語りました
スリランカの最大都市コロンボなどで起きた同時爆破テロ事件で、現地に在住している高橋香さんが死亡したほか、日本人4人がけがをしました
家族とともにホテルで朝食をとっていたときに巻き込まれ、けがをしたとみられています
光さんの父親が23日、取材に応じ、光さんは来月実家に帰省する予定だったということです
そのうえで「まだ子どもが小さいのになんでこういうことになるのか、詳しい状況を知りたいけれどわからず心配です」と話していました
高橋さんの夫の知人「とてもショック」
光さんの実家の近くに住む女性は「けさ、光さんの両親と話したときはどんなことばをかけていいのかわかりませんでした
テロで香さんが亡くなって、光さんがけがをしたと聞いたときはとてもショックでした
2~3年前に近所で2人がお子さんを連れて遊んでいる姿を見ました
香さんはおとなしそうな感じの方でした」と話していました
スリランカへの移住の経緯 去年には息子も生まれ
高橋香さんのフェイスブックのページには家族とともにスリランカに移り住んだ経緯がつづられています
それによりますと、高橋さんの夫が2014年に先にスリランカに渡り、その8か月後の2015年の7月に、幼い子どもとともにスリランカの夫のもとに引っ越しました
この時には「スリランカでしばらく生活することになりました」と投稿しています
その年の娘の1歳の誕生日にはコロンボのホテルで祝い、「これからも毎年、家族みんなが笑顔でお誕生日を迎えられますように」と投稿しています
去年にはスリランカで息子も生まれ、家族4人の生活を始めていました