JLPT N1 – Reading Exercise 123
私は、現代社会における「統計」の役割について、一般向けの雑誌に記事を書くことがある。選挙の投票率や経済指標、健康診断のデータなど、日常生活のあらゆる場面に統計は関わっている。しかし、統計という言葉を聞いただけで「難しそう」「自分には関係ない」と感じる人が多い。記事を書く際、(1)編集部からの要望は決まってこうだ。
「数字やグラフを多用せず、できるだけ身近な例で説明して下さい。『統計』という言葉は避けて、読者が抵抗感を持たないように工夫して下さい。」この要望は、私にとって簡単ではないが、現状では妥当だと思わざるを得ない。問題は「統計」という言葉そのものではない。読者である「一般の人々」も、情報を発信する「編集部」も、統計に対して距離感を持っているという事実が、現代の「データ社会」と(2)「それを利用する人々」の関係を象徴している。作り手や発信者は、当然データの意味や活用法を熟知しているが、利用者側は与えられた数字を深く考えず「信じる」ことで受け入れている、と言い換えられる。
(中略)
本来、統計やデータは、その時代に生きる人々の意思決定を支えるために発展してきたものである。私たちはデータ社会の主役であるはずだ。しかし、私たちの統計に対する理解は、データの進化とともに深まっているだろうか。
たとえば、あなたの周囲に「数字は苦手」「グラフはよくわからない」と最初から敬遠してしまう人はいないだろうか。
あなた自身はどうだろう。統計的手法やデータ解析が複雑化し、一部の専門家しか理解できないものになっているのは事実である。
専門家がまとめたデータを、ニュースや説明書の通りに受け取れれば、(3)その背景や計算方法を知る必要はない、という人もいるかもしれない。しかし、そのような受け取り方では、発信者が強調したい「都合の良い側面」しか見えない。もし、発信者の意図した情報だけが流通するなら……。私たち利用者は、与えられる情報だけでなく、データの背景や意味を少しでも知った上で、生活に活かすかどうかを判断することが重要だ。
メリット(ベネフィット)もデメリット(リスク)も考えながらデータと向き合う、その第一歩は「知ろうとすること」である。