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新增翻譯
私の知っている寿司屋の若い主人は、亡くなった彼の父親を、いまだに尊敬している。 死んだ肉親のことは多くの場合、美化されるのが普通だから、彼の父親追憶もそれではないかと聞いていたが、そのうち考えが変わってきた。 高校を出た時から彼は父親に寿司の握りかた、飯のたきかた――寿司屋になるすべてを習った。 父親は彼の飯のたきかたが下手だとそれをひっくりかえすぐらい厳しかったが、何といっても腕に差があるから文句はいえない。 だがある日、たまりかねて「なぜぼくだけに辛く当たるんだ」ときくと、「俺の子供だから辛く当たるんだ」と言いかえされたと言う。 父親が死に、一人前になって店をついでみると、その辛く当たられた技術が役にたち、なるほど、なるほどと彼はわかったそうである。 私はこの若主人の話を聞くたびに羨ましいと心の底から思う。 そこには我々がある意味で理想とする父親と子供の関係があるからである。 子供はその時、技術だけではなく父親の生き方も学んでいく。 自分のつくる寿司に妥協しない父親、飯のたき方ひとつにも誠意をもってやる父親の生き方を技術と同時に習っていく。 私がこの若主人を羨ましいと思ったのは、私には、自分の息子にそのような技術が教えられぬからだ。