職場の同僚が感染し、念のため受けた検査で陽性とわかりました。
はじめは症状がなかったといいます。
自宅療養を続けて4日目の夜。
39度台の熱が出たため病院で検査をすると、すでに肺炎を起こしていて、そのまま入院することになりました。
男性を最も苦しめたのは、高熱と激しいせきでした。
「医師から1日3回までと言われて解熱剤を飲むんですけど、3回飲んでも『もっと飲みたい』、『もっと飲まないと体が持たない』と熱にうなされました。さらに息ができないほどのせきが出て、もしかしたらこのまま死ぬのかなと」
意識がもうろうとするなか、「このまま症状が悪化した場合、人工呼吸器かエクモを使う意思はありますか」と医師から尋ねられました。 死を覚悟した男性は息子に電話をしました。 自分が死んだあとの身の回りの整理について伝えるためです。 男性 「持ち家の処理の方法とか子どもたちも困るでしょうから知り合いの司法書士に相談してくれと。私の職場に対してもどんな手続きが必要かわからないと思ったので、上司の名前を教えて上司に従ってやればいいからと伝えました」
毎年、健康診断を受けていましたが、それまでは肺に病気があると言われたことは一度もなかったといいます。 長年タバコを吸っていたこともあり、「肺気腫」にもなったことを医師から告げられました。 男性 「医師からは『退院しても自力で呼吸するのが難しく機械で酸素を吸入する必要があるかもしれない』と言われました。なんとか一命はとりとめましたが仕事には復帰できないと思い、その後の入院生活は、職場に退職の手続きを聞くなどして過ごしました」
登山が趣味で、おととしには北アルプスの剱岳に登頂。 日本百名山のうち、57の山を登ってきたといいます。 それなのに。 退院後は、自宅前のおよそ100メートルの坂を上るだけでも2回も休憩が必要で、深呼吸しないと息苦しくなるといいます。 大好きだった登山はあきらめざるをえませんでした。 さらにコロナに感染したあとは常に頭の中に「もや」がかかったような状態で思考能力が大きく落ちてしまったとも感じています。 「幸い『肺気腫』は重症化せず自力で呼吸ができていますが、息苦しくて、長時間話したり運動したりすることはできなくなりました。コロナになってまったく別の体になってしまったと感じています」
当時は、死ぬ前に苦しい思いはしたくないと考え、ノートには「延命治療は望まない」と記していました。 でもコロナで死を意識した経験をへて、今では考えが変わりました。 男性 「本気で死を覚悟しましたが幸いにも戻ってくることができたので、救われた命の限り、もっと生きたいと思うようになりました。伝えたいのは『コロナを甘く見てはいけない』ということ。私も自分は大丈夫だという過信がありましたが、本当に怖い病気だということを改めて強く言いたいです」 (取材:長野局 記者 牧野慎太朗)
死を覚悟 身の回りの整理について息子に電話した
肺に穴が空いて空気が抜ける病気に
退院後も息苦しく 頭の中は「もや」のような状態に
死を意識して考え変わる「もっと生きたい」