長野オリンピックの
公式ポスターを
手がけたことで
知られ、
文化勲章を
受章した
洋画家の
絹谷幸二さんが
1日、
悪性リンパ
腫のため、
亡くなりました。
以設計長野奧運官方海報聞名,並獲得文化勳章的西洋畫家絹谷幸二先生,於1日因惡性淋巴瘤逝世。
82歳でした。
絹谷幸二さんは奈良県生まれ。
東京藝術大学を卒業後、イタリアに留学し、壁画の技法である「フレスコ画」を学びました。
畢業於東京藝術大學後,前往義大利留學,學習壁畫技法中的「濕壁畫」。
帰国後、若手洋画家の登竜門として知られた安井賞を31歳で受賞し、フレスコ画の技法を用いた色彩豊かで、エネルギーに満ちあふれた作品で独自の画風を確立し、高い評価を受けてきました。
歸國後,他在31歲時獲得了作為年輕西洋畫家登龍門而聞名的安井獎,並以運用濕壁畫技法創作出色彩豐富、充滿能量的作品,確立了獨特的畫風,並獲得高度評價。
1998年に開かれた長野オリンピックでは、公式ポスターの原画を制作したことでも知られています。
在1998年舉辦的長野奧運會上,他也因為製作官方海報的原畫而廣為人知。
また、東京藝術大学などで教鞭を執ったほか、全国の子どもたちに絵を教える活動を続け、後進の育成にも力をいれました。
此外,他還曾在東京藝術大學等校任教,並持續致力於向全國的兒童教授繪畫,積極培養後進。
絹谷さんの思いを受け、2009年には若手画家を支援する「絹谷幸二芸術賞」も創設されています。
承襲絹谷先生的想法,於2009年設立了支援年輕畫家的「絹谷幸二藝術獎」。
こうした長年の功績が認められ、2021年には文化勲章を受章しています。
因為這些長年來的貢獻,他於2021年獲得了文化勳章。
絹谷さんは、この春までは精力的に創作活動に取り組んでいたということですが、1日、悪性リンパ腫のため、都内の病院で亡くなりました。
絹谷先生直到今年春天都還積極投入創作活動,但於1日因惡性淋巴瘤在東京都內的醫院辭世。
82歳でした。