津田塾で英語を勉強中に終戦を迎え、その後、共学になった東大へ入学する。
在津田塾學習英語時戰爭結束,之後我進入了實行男女共學的東京大學就讀。
東洋文化研究所の助手をしていた1953年(昭和28年)から3年間インドに滞在、1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)にかけてはイギリス、イタリア、その他シカゴ大学、ロンドン大学で研究を積む。
在1953年(昭和28年)擔任東洋文化研究所助理時,我曾在印度停留了三年,之後又於1959年(昭和34年)至1962年(昭和37年)期間,持續在英國、義大利,以及芝加哥大學和倫敦大學進行研究。
研究テーマは未開民族の社会構造である。
インドではゾウに乗り、トラやヒョウには何回も遭遇した。
小さなヘビならまだしも、人間を丸呑みにするほど大きいヘビもいた。
如果是小蛇還好,但也有能夠整個吞下人類那麼大的蛇。
そのようなヘビには特に警戒し、目的の村では住み込みで調査を行った。
つい最近まで「首狩り族」だった村にも行った。
それは過去のことで今は行われていないといえども、村長の家には壁いっぱいの頭蓋骨があり、これにはさすがに驚いた。
雖然人們說那已經是過去的事了,但村長家裡的牆上現在還掛著許多頭蓋骨,真的讓我感到很驚訝。
過去に何が行われていたのか、身を以って知ったのだ。
数個ならまだしも、こんなに多いとは。
如果只有幾個倒還好,沒想到竟然有這麼多,真的很讓人吃驚。
まさに、インディー・ジョーンズ如きである。
この研究は欧州の学会で高く評価され、各地で講演や研究発表を行った。
這項研究在歐洲的科學會議上獲得高度評價,我也在各種場所進行了許多簡報和研究發表。
日本の農村の調査に入ると、各地の共通性に目が向くようになった。
當我開始調查日本的鄉村時,我開始注意到不同地區之間的共同點。
「寄り合い」に代表されるタテの序列を基調とする集団行動である。
那是基於縱向秩序的集體行動,具有代表性的是「寄合」(地區集會)。
大学の教授会で話を聞くにあって、その行動が「寄り合い」と同じだと気づく。
當我聽到大學教授會的會議時,我發現他們的行動很像「聚會」。
つまり日本社会の特質ではないか。
そんなアイディアから生まれたのが100万部を超えるベストセラーになった「タテ社会の人間関係」である。
這個想法孕育出了《縱向社會的人際關係》這本書,並成為銷量超過一百萬冊的暢銷書。
高度成長期の謎を解く文献として、刊行から現在に至るまで多くの人に読まれている。
這是解開高度成長期謎團的資料,自從這本書出版以來,至今仍被許多人持續閱讀。
「タテ社会であるだけでなくヨコの関係が弱いために、日本では下層において孤独が深まるだろう」とか、その本では格差社会の到来をも予言していた。
在那本書中,我也預測了分化社會的出現,例如「不僅是縱向社會,因為橫向聯繫薄弱,日本底層階級的孤獨感將會越來越嚴重」。