キーオさんは、大リーグのアスレチックスやヤンキースなどを経て昭和62年に阪神に入団し、1メートル88センチの長身から投げ込むキレのある速球や鋭く曲がるカーブを軸に、移籍1年目は開幕投手を務めました。
阪神に在籍した4年間、チームは最下位が3回、5位が1回と苦しい状況が続きましたが、その中でもキーオさんは1年目から3年連続でふた桁勝利をあげるなど奮闘し、エースとして投手陣を支えました。
通算で107試合に登板し、45勝44敗、防御率3.73という成績でした。
大リーグ、アスレチックスの公式サイトは「偉大な野球選手で、アスレチックスの誇りであり、忘れられない印象を残した」とその功績を伝えていて、地元メディアなどによりますと現地時間の1日に亡くなったということです。
64歳でした。
死因は明らかになっていません。