7つの
内閣で
事務方トップの
官房副長官を
務め、ことし1
月に
亡くなった
石原信雄氏の
お別れの
会が
営まれ、
関係者が
故人をしのびました。
石原氏は群馬県出身で、旧自治省の事務次官を経て、昭和62年から7年余りにわたって7つの内閣で事務方トップの官房副長官を務めました。
副長官を退任したあとも、地方自治の問題などで積極的に情報発信を続けていましたが、ことし1月、多臓器不全のため96歳で亡くなりました。
東京都内で営まれたお別れの会には、およそ1000人が参列し、遺影の前で花を手向け別れを惜しんでいました。
参列した福田元総理大臣は、記者団に「人間的にすばらしく、日本の屋台骨を支える仕事をやってこられたと評価している」と述べました。
石原氏とともに海部内閣で官房副長官を務めた、大島前衆議院議長は「湾岸戦争や政治改革、バブル崩壊という時代に行政のすべてを知り尽くした判断力で対処され、大変指導してもらった」と述べました。
旧自治省出身の福井県の杉本知事は「私が自治省に入った時の事務次官だった。本当に温厚で先を読み、指示も的確で、上司として、先輩として見本になる方だった」と振り返りました。