通常、ロボットに対するプログラミングは、センサーから取得した情報に応じて、ロボットが何らかの反応をするように作られる。
通常,機器人的程式設計是根據從感測器收集到的資訊,讓機器人能夠做出反應來進行的。
たとえば「障害物を察知したら避ける」といった具合である。
しかし、私はロボピーがもっと自由に、意味のない動きも含めてさまざまな行動を取るようにプログラムした。
但是,我已經將Robopy編程得能夠更自由地行動。這其中也包括了一些沒有意義的動作,使其能夠執行各種不同的動作。
300以上の動作を登録し、700を超えるルールでそれらの動作をどの順番で発現させるかを決めた。
我登錄了超過300種動作,並且為了決定這些動作的出現順序,設定了超過700條規則。
その結果、予測不能で多様な動きをするロボットが誕生した。
ここまで複雑になると、制作者である私たちにも、どのプログラムがどのように作用するのかが分からなくなってしまう。
當變得如此複雜時,連我們自己,也就是創造它的人,都無法理解每個程式是如何運作的。
ある日、研究室でミーティングをしていたとき、突然ロボピーが音声を認識し、「そうではないよ」と言いながら手をぶらぶらさせて歩き出した。
有一天,當我們在實驗室開會時,機器人皮突然辨識到聲音,一邊說著「不是那樣的喔」,一邊揮手走了出去。
それを見て、私たちは思わず「意思があるのではないか」と感じてしまった。
看到那個景象,我們不禁覺得「也許那其中有著屬於自己的意志」。
もちろん、それは単に内部のプログラムが作動しただけのことである。
しかし、まるで一貫した意思によって動いているかのように見えたのだ。
但是,那看起來就像是在遵循某種一致的意志行動一樣。
そのとき、私は確信した。
心とは、観察する側の問題である、と。
単純な機械の動きには「心を感じない」という人が多い。
しかし、動きが複雑になり、すべてを理解できなくなると、人は「これは自分とは独立して考え、動いている」と想像してしまう。
その想像に名前をつけたものこそ、「心」なのだ。
心とは、実際にモノの中に存在するものではなく、それを観察する側の想像によって生まれるものである。
人は相手の中に心を感じ、自分の中にも心があると思い込む。
だが、心は内省しても見つからない。
それは、相手を観察し、想像することによってのみ理解できるものである。