1944年8月5日、オーストラリア南東部のカウラにあった捕虜収容所で、旧日本軍の兵士1100人余りが脱走を図り、監視をしていた兵士に射殺されるなどして231人が死亡しました。
事件から80年となる2024年8月5日、発生時刻の現地時間午前2時前に収容所の跡地で慰霊の行事が行われ、脱走について、捕虜になることが恥だと日本兵の間でされていたために企てられたことが説明されました。
そして、当時の様子が再現され、脱走の合図となったラッパの音が鳴り響きました。
夜が明けてからは、日本兵などが埋葬されている墓地で、日本からの参加者などおよそ300人が出席して式典が行われ、慰霊碑に花を供えて兵士たちを追悼しました。
妻の父親が収容されていたという、広島市の淺田博昭さんは「脱走して捕らえられたとき、殺されると思ったそうだが、オーストラリア軍はそうしなかった。義父はオーストラリアに感謝していて、ここに眠る仲間に会いたいといつも言っていたので、ここに来ることができてうれしい」と話していました。