アメリカのニューヨークにある
国連本部から、
1953年に
出されたはがきが、
72年後の
2023年8
月に
イリノイ州オタワの
郵便局に
届きました。
一張於1953年從美國紐約聯合國總部寄出的明信片,在72年後的2023年8月,終於送達伊利諾州渥太華的郵局。
はがきには「F・E・ボール
牧師一家」と
書いてありましたが、その
家族はもうその
住所に
住んでいませんでした。
明信片上寫著「F.E.鮑爾牧師的家族」,但這個家庭已經不住在那個地址了。
郵便局長のトンプソンさんは、このはがきを
捨てずに、
元の
持ち
主やその
家族に
届けたいと
思いました。
湯普森郵局局長不想丟棄這張明信片,希望能將它歸還給原本的持有人或其家屬。
そこで、
地元の
新聞記者や
系譜学(けいふがく)を
研究している
人たちが
協力して、
送り主を
探し
始めました。
因此,當地的記者和家譜學的研究者們攜手合作,試圖尋找寄件人。
はがきには「アラン」とだけ
書いてありました。
調べていくうちに、「アラン・ボール
博士」という
88歳の
男性がアイダホ
州に
住んでいることが
分かりました。
根據調查結果,發現有一位名叫艾倫·鮑爾博士的88歲男性居住在愛達荷州。
1953年、アランさんはイリノイからニューヨークに
行き、そこからプエルトリコにいるおばさんの
家へ
行く
予定でした。
1953年,阿蘭先生從伊利諾州前往紐約,之後打算去波多黎各投靠住在那裡的姑媽。
旅費は
自分で
芝刈りや
雪かきをしてためました。
ニューヨークでは
国連ビルを
見学し、そこで
家族に「ニューヨークまで
来たよ」とはがきを
送りました。
在紐約,他參觀了聯合國總部,並寄了一張寫著「我來到紐約了」的明信片給家人。
しかし、そのはがきは
長い
間どこかで
止まってしまい、
家族には
届きませんでした。
但是,那張明信片在某處遺失了很長一段時間,沒有送到家人手中。
今年、はがきが
見つかり、アランさんのもとに
戻りました。
郵便局員は「
遅れてごめんなさい」と
言って
手渡しました。
アランさんはとても
驚き、
昔の
思い
出を
思い
出しました。
72年ぶりに、はがきは
ようやく持ち
主のところに
帰りました。
經過72年的時光,最後一張明信片終於回到了主人的手中。