書を読むという行為が、人間の成長や知的能力の向上に必須なものであることを、かつての社会は経験法則的に理解していたのではなんだろうか。
或许,过去的社会是凭借经验性地理解到,读书这一行为对人的成长和智力提升是不可或缺的。
素読のなどは強制的、修養的なものではあるが、読書習慣の形成を何よりも重視する教育メソッドのであったことは確かである。
毫无疑问,无论是被强制的还是自律的,背诵都是一种比其他任何方式都更注重培养阅读习惯的教育方法。
しかし、私たちの世代はどうであろうか、書物というものが映像や音響メディアなどと単純に比較することを許さない必需品であり、読書は基本的な能力であるという確信をいだいてきたものの、近年の社会経済のあり方によって自信を喪いかけていたことは否めないのではないだろうか。
但是,我们这一代人又如何呢?我们一直坚信书籍是无法与影像或音频等媒体简单比较的必需品,阅读是一项基本能力,但不可否认的是,近年来社会和经济的变化正在逐渐让我们失去这种自信。
活字以外の表現手段が大きな影響力を持つようになったことを、「時代の流れ」と呼ぶのはいいが、文化の変容があまりにも急激なこと、あるいは一つの有力な文化が別のものに置き換えられることには予測しがたい弊害を伴う。
除了印刷文字以外的表现手段变得具有巨大影响力,这可以称为“时代的潮流”,但如果文化的变化过于迅速,或者强势文化取代了其他文化,有时会带来难以预料的不良影响。
活字にもいろいろあるが、書物に特有の楽ししみを与えてくれる本、思索の喜びをもたらしてくれる本、人生の支えになるような本が相対的に少なくなったのは、1980年代の半ばごろからで、書店の棚には情報的な本や、映像文化の書籍化をねらった寿命の短いものばかりが目立つようになった。
尽管有许多印刷字体的种类,但自20世纪80年代中期以来,能够带来独特乐趣与思考乐趣,或成为人生支柱的书籍数量相对减少,书店的书架上只剩下信息类书籍和以将影像文化转化为图书为目的的短命出版物变得格外显眼。
家庭からはスペースの狭さを言い訳に、本棚が姿を消してしまった。
ちょうどその頃から映像文化や活字文化の本質を考えるメディア論が盛んになったが、今から思えば従来の活字文化が衰弱した場合にどうなるかという洞察力において、いささか欠けるところがなかっただろうか。
此外,在那个时期,媒体理论普遍开始探讨图像文化和印刷文化的本质,但回顾来看,我们是否缺乏一种敏感性,去预测如果传统的印刷文化衰退后会发生什么。