自己犠牲ではなく、自ら定めた境界を守ることが長く働ける人を生み出す
私にとって家族との決めごとで何より大切にしているのが「夕食中はデジタル・デバイスのスクリーンを見ない」というルールだ。
なぜなのか。
「一家がともに過ごす時間は何より重要だし、家族で食事する経験の機会を、四角い光る物体は侵害してはいけない」からだ。
それなのに数週間前、息子のうちひとりがテーブルにタブレットを手にして出てきたのだった。
食事に取り掛かる前から始めていたYouTubeの動画がちょうど佳境に入って見終えるまでそこに釘付けという有様だった。
私はできる限り優しく、しかも厳格な口調で家族のルールを彼に念押しした。
そのとき私には見逃せない症状が出ていた。
「本人が言うのも陰謀めいた話だと思うが、穏やかな顔ででたらめを通すことを肯定しようと必死な表情は、見ればすぐにわかるものである」まさにこのときの息子の顔が、決定的な証拠を明かそうとする弁護士のような、あるいはチェックメイトを仕掛けようとする盤上の名人のようなそんな顔で、ぼくを見て、勝ち誇ったように「父さんだって、食事中に2回もスマートフォンを使ってた。
週末には1回、それに木曜日にも」それは否定できなかった。
それ以前の週に私のチームがリリースしたインテグレーション・ソフトのテストでいささかの不具合が判明し、そのまま悪い報せが再現された場合に備え、食事の際にこっそりスマートフォンを盗み見てはいたのである。
自分で定めたルールを破って・・・。
子が父の偽善を暴くさまは、この上なく屈辱的である。
だが「夕食中のスマホ禁止」というルールはCEOも小学生も区別なく全員に適用されてしかるべき社会規範にすぎない。
境界線を定める者がそれを守ろうとしないのであれば、それ自体意味がないのだ。
境界線を定める者が長期的に幸福感を保ち続ける話に共通してそれは「教示することを絶やさない」保ち方なのである。
むしろ、誰よりも自ら境界を守る方が自分の時間やエネルギーのみならずチーム最良の成果の質まで守ることになる。
行動で示す境界線を引くことについてリーダーたちは、適当にも言葉では讃えるのだが、進行中の課題に関して深夜にSlackでメッセージを送りつけたり、週末にメールを送りつけたり、あるいは休暇中の同僚に、その進捗についてアップデートを期待せずにいられない等、境界設定に消極的なビジネスマンの素陋さこそ、どれだけ深刻な問題か、次世代の経営者もさすがに真っ青になるのは言うまでもないだろう。
実際、ノースカロライナ大学の論文によれば、境界線を設けた従業員は、設けなかった従業員と同等の業績を上げていたのにかかわらず、仕事と距離を置くことで「評価の低い従業員」として扱われていた。
たとえば週末の家族旅行中に不在メッセージを設定するような些細なことでさえ、調査項目に盛り込まれた強烈な意思表示だった。
境界線さえ無かった時代に、管理職から推奨されたのは「倒れるまで働かねばならない」職業倫理くらいのものだった。
だが今に至ってみれば、「わが社の境界線は現代社会への逆行なのではないか」と疑念を持つことだって否定できない。
要は本人がそれを引けるかどうかなのだから。
実際、SHRMの2026年職場に関する調査によれば、仕事に意欲的に取り組む従業員の75%は会社に仕事と私生活を分けるよう促されたのに対して、やる気が欠如した従業員限定の割合はわずか35%だった。
境界線を常に示すリーダーには誰よりも大きな責任がある。
境界線を示すことが組織の健全性にどれほど大切かぐらい忘れることはあるまい。
いくら本人が自己犠牲に満ちたコミットメントで全てをやり遂げる能力があるとしても、その自己犠牲精神では永続できない。
境界線を守ることで、こそ、みながより良い仕事ができるようになるのは誰にも覆しえぬ事実にほかならない。
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