日本新聞: クレディ・スイス「AT1債」無価値の衝撃【経済コラム】

経営けいえい不安ふあんにさらされていた「クレディ・スイス」の買収ばいしゅうに伴ともない、3月つき19日にちにスイスの金融きんゆう当局とうきょくが発表はっぴょうした内容ないように世界せかいの金融きんゆう関係かんけい者しゃが衝撃しょうげきを受うけています。それは、「AT1債さい」と呼よばれる特殊とくしゅな社債しゃさい、実じつに2兆ちょう円えん以上いじょうが一瞬いっしゅんにして無む価値かちになるという異例いれいの対応たいおうでした。巨額きょがくの社債しゃさいがなぜ無む価値かちとされたのか。日本にっぽんにはどのような影響えいきょうがあるのか、取材しゅざいしました。（経済けいざい部ぶ記者きしゃ真方まがた健けん太朗たろう）

世界せかいに衝撃しょうげき「AT1債さい」が無む価値かちに

「クレディ・スイス」は、スイスの金融きんゆう当局とうきょくの関与かんよのもと、同おなじスイスの金融きんゆう最大さいだい手しゅ「UBS」による買収ばいしゅうという形かたちで救済きゅうさいされることが決きまりましたが、これに伴ともなって、FINMA＝スイス金融きんゆう市場しじょう監督かんとく機構きこうは次つぎのような声明せいめいを発表はっぴょうしました。

「スイス政府せいふの特別とくべつ支援しえんにより、160億おくスイスフラン（日本にっぽん円えんで2兆ちょう2000億おく円えん）に上のぼるクレディ・スイスの『AT1債さい』のすべての価値かちが完全かんぜんに償却しょうきゃくされ、これによって中核ちゅうかく的てき資本しほんが増加ぞうかすることになる」

「すべての価値かちが完全かんぜんに償却しょうきゃくされる」というのは無む価値かちとなるということです。

「AT1債さい＝Additional Tier1債さい」は、金融きんゆう機関きかんが発行はっこうする特殊とくしゅな社債しゃさいです。

2008年ねんのリーマン・ショックを教訓きょうくんに世界せかい的てきな金融きんゆう危機ききを防ふせぐため新あらたな国際こくさい規制きせい「バーゼル3」が策定さくていされたことに伴ともない、「その他そのたTier1」という自己じこ資本しほんの基礎きそ的てきな項目こうもくとして認みとめられるようになりました。

「AT1債さい」は、通常つうじょうの社債しゃさいや劣後債れつごさいと比くらべて金利きんりが高たかい一方いっぽうで、自己じこ資本しほんが減少げんしょうした際さいには、元本がんぽんが削減さくげんされたり、強制きょうせい的てきに株式かぶしきに転換てんかんされたりするリスクがあります。

つまり、預金よきん者しゃに影響えいきょうが出でないようこの社債しゃさいを買かった投資とうし家かが損失そんしつを吸収きゅうしゅうする形かたちです。

今回こんかいのクレディ・スイスのケースでは、「AT1債さい」が無む価値かちになる場合ばあいのトリガーが2つありました。

▽株式かぶしきなど損失そんしつを吸収きゅうしゅうする資本しほんが一定いっていの水準すいじゅんを下回したまわった場合ばあい。

▽スイス当局とうきょくが銀行ぎんこうが破綻はたんのおそれがあるとみなしたり、例外れいがい的てきな政府せいふ支援しえんを行おこなったりした場合ばあい。

この2つのうち、いずれかの条件じょうけんに抵触ていしょくした場合ばあいに無む価値かちとなるという仕組しくみになっていました。

スイスの財務省ざいむしょうは、UBSがクレディ・スイスから引き継ひきつぐ資産しさんの価値かちが下さがり、将来しょうらいの損失そんしつが一定いっていの額がくを超こえた場合ばあい、政府せいふがUBSに日本にっぽん円えんで90億おくスイスフラン、日本にっぽん円えんで1兆ちょう2000億おく円えん余あまりの政府せいふ保証ほしょうを行おこなうと発表はっぴょうしました。

この支援しえん策さくが2つ目めのトリガー「例外れいがい的てきな政府せいふ支援しえん」に該当がいとうし、クレディ・スイスの「AT1債さい」が無む価値かちとされたとみられています。

なぜ「AT1債さい」だけ無む価値かちに？

政府せいふの支援しえんを受うけたのだから、契約けいやく上じょう「AT1債さい」の投資とうし家かが損失そんしつを被こうむるのは仕方しかたがないという見方みかたもあります。

しかし、今回こんかいの対応たいおうには多おおくの投資とうし家かから疑問ぎもんの声こえがあがり、中なかには訴訟そしょうを検討けんとうするという投資とうし家かも出でてきています。

その理由りゆうについて、金融きんゆう庁ちょうに出向しゅっこう経験けいけんがあり金融きんゆう機関きかんの国際こくさい規制きせいに詳くわしい吉良きら宣せん哉弁護士べんごしは「投資とうし家かの弁済べんさいの順位じゅんいが乱みだれたためだ」と指摘してきします。

順位じゅんいとはどういうことなのでしょうか。

一般いっぱんに社債しゃさいなど債券さいけんの弁済べんさい順位じゅんいは株式かぶしきより上位じょういとされています。

預金よきんはさらに手厚てあつく保護ほごされており、金融きんゆう業界ぎょうかいでは下したの図ずであらわした項目こうもくについて、下したに行いくほど弁済べんさいの順位じゅんいが低ひくくなるとされていました。

一般いっぱん的てきには、「AT1債さい」は普通ふつう株式かぶしきより優先ゆうせん的てきに弁済べんさいが行おこなわれます。

ところが今回こんかい、クレディ・スイスの普通ふつう株式かぶしきは、直近ちょっきんの評価ひょうか額がくを大おおきく下回したまわる形かたちではあるものの、UBSの普通ふつう株式かぶしきと交換こうかんされ、株主かぶぬしは一定いっていの救済きゅうさいがされることになっています。

一方いっぽうでそれより順位じゅんいが高たかいとみられていた「AT1債さい」は無む価値かちとなり、債券さいけん保有ほゆう者しゃより株主かぶぬしが優遇ゆうぐうされる形かたちとなります。

このため「AT1債さい」を保有ほゆうする投資とうし家かが、「普通ふつう株式かぶしきを持もつ投資とうし家かより先さきに自分じぶんたちだけが損失そんしつを被こうむるのはおかしい」と声こえをあげているのです。

これに対にたいし、スイス金融きんゆう市場しじょう監督かんとく機構きこうは3月つき23日にち、「契約けいやく条件じょうけんが満みたされたから実行じっこうした」と説明せつめいし、改あらためて今回こんかいの対応たいおうの正当せいとう性せいを主張しゅちょうしています。

一方いっぽう、EUの銀行ぎんこう監督かんとく当局とうきょくやヨーロッパ中央ちゅうおう銀行ぎんこう、それにイギリスの中央ちゅうおう銀行ぎんこう、イングランド銀行いんぐらんどぎんこうは、「AT1債さいの保有ほゆう者しゃが損失そんしつを被こうむるのは株主かぶぬしに損失そんしつ負担ふたんを求もとめた後のちのことだ」という趣旨しゅしの声明せいめいを発表はっぴょうし、クレディ・スイスの「AT1債さい」が無む価値かちになったのはあくまでもスイス特有とくゆうの例外れいがい的てきな措置そちだと強調きょうちょうしています。

過去かこには、スペインの銀行ぎんこうで「AT1債さい」が無む価値かちになったことがありますが、このときは同時どうじに普通ふつう株式かぶしきも無む価値かちとなりました。

吉良きら弁護士べんごしによると、普通ふつう株式かぶしきよりも先さきに「AT1債さい」が価値かちを失うしなうことは理論りろん上じょうあり得えるとした上うえで「今回こんかいは順位じゅんいが入れ替いれかわった初はじめてのケースではないか」と指摘してきします。

長島ながしま・大野おおの・常松つねまつ法律ほうりつ事務所じむしょ吉良きら宣せん哉弁護士べんごし

「クレディ・スイスの契約けいやくの書面しょめんには、順位じゅんいが入れ替いれかわることがあり得えることが記載きさいされているにもかかわらず、市場しじょうでは『AT1債さい』が無む価値かちになるときは普通ふつう株式かぶしきも無む価値かちになると考かんがえていた投資とうし家かも少すくなくないのかもしれない。今後こんご、訴訟そしょうとなった場合ばあいは『AT1債さい』を販売はんばいした際さいに株式かぶしきの投資とうし家かより先さきに損失そんしつを被こうむるリスクがあることが、契約けいやく書面しょめんに明記めいきされていたことも踏ふまえ、リスクの説明せつめいの有無うむ・程度ていどが争点そうてんとなる可能かのう性せいがある」

日本にっぽんへの影響えいきょうは

このようにクレディ・スイスの「AT1債さい」が無む価値かちとなったことを受うけて、投資とうし家かの間まで「AT1債さい」を手放てばなす動うごきが出でるなど動揺どうようが広ひろがり、その利回りまわりが上昇じょうしょうするという混乱こんらんも起おきています。

日本にっぽんにも影響えいきょうは及およぶのでしょうか。

金融きんゆう庁ちょうによりますと、国内こくないの金融きんゆう機関きかんでクレディ・スイスの「AT1債さい」を大量たいりょうに保有ほゆうしているところは、今いまのところ報告ほうこくされていないということです。

また、国内こくないの資産しさん運用うんよう会社かいしゃが手てがける投資とうし信託しんたくの中なかに「AT1債さい」を組み込くみこんだものもありますが、いずれも保有ほゆう比率ひりつでは1％に満みたないとしています。

一方いっぽうで、「AT1債さい」を発行はっこうしている金融きんゆう機関きかんへの影響えいきょうを指摘してきする声こえもあります。

日本にっぽんでは、メガバンク3行こうが「永久えいきゅう劣後債れつごさい」という名前なまえでこれまでにあわせて3兆ちょう円えん余あまりの「AT1債さい」を発行はっこうしていますが、多おおくのアナリストが今後こんご、国内こくないでも「AT1債さい」の発行はっこうコスト、つまり資金しきん調達ちょうたつのコストが増加ぞうかするとみています。