屋比久選手の父親・保さんは、かつて全日本選手権を制したグレコローマンスタイルの選手でしたが、オリンピック出場にはあと一歩のところで届きませんでした。
小学3年生で父親の指導を受け、レスリングを始めた屋比久選手。
周囲から「父親が行けなかったオリンピックへお前が行くんだ」と言われ続け、自然とオリンピックへの思いが強くなっていったといいます。
派手な投げ技が決まらなくても前に出続けて、泥臭くても勝つレスリングです。 「本当は(文田)健一郎みたいに投げて勝ちたいんですけど、そういうわけにもいかないんで、泥臭くても前に出て相手の体力を削って勝つ。それをずっとやってきました」。 そのために屋比久選手はトレーニングを重ね、鋼のような肉体を鍛え上げてきました。 特に目を引くのは父親譲りの丸太のような下半身。スクワットは200キロほど上がるといいます。 世界でもトップクラスの筋力を身につけ、「前に出るレスリング」でオリンピック出場を勝ち取りました。 「父の果たせなかった夢を1つ果たしたので、次はオリンピックで金メダルを取るという自分の夢に向かっていく」。
屋比久選手が見せたのはことばどおりのレスリングでした。 初戦は終盤までリードされますが、前に出続けてスタミナの落ちた相手に残り30秒で投げ技を決め、逆転勝ちしました。 2回戦ではハンガリーの選手に敗れたものの「悔しい思いもうれしい思いもオリンピックが開催されたこそ」と感謝を忘れませんでした。 そして3日の3位決定戦。 敗戦から立ち直り、イランの選手を破りました。 親子2代の夢の舞台、悔しさも感謝もすべてを受け止めながら父から受け継いだ「泥臭いレスリング」を最後まで貫き通し、銅メダルをつかみ取ったのです。
「泥臭いレスリング」で五輪出場を勝ち取る