法ほうの下もとでの人間にんげんの平等びょうどうは、憲法けんぽうでも保障ほしょうされた人間にんげんの権利けんりである。しかし現実げんじつには、すべての人間にんげんや人間にんげん活動かつどうに平等びょうどうが保障ほしょうされているわけではない。社会的しゃかいてき・民族的みんぞくてき差別さべつの問題もんだいは大おおきい。ここではこうした基本的きほんてき人権じんけんにかかわる問題もんだいではなく、職業しょくぎょう、教育きょういくや所得しょとくに関かんする平等びょうどう・不平等ふびょうどう問題もんだいを論ろんじる。例えば親おやの階層かいそう(職業しょくぎょうや所得しょとく)の不利ふりさが子供こどもの学歴がくれき達成たっせいに支障ししょうとなることを考かんがえてみよう。親おやの所得しょとくが高たかくないために、子供こどもが大学だいがく進学しんがくをあきらめた{ケース}はどうだろうか。奨学金しょうがくきん制度せいどが充実じゅうじつしておれば、本人ほんにんの能力のうりょくと努力どりょくがある限かぎり、大学だいがく進学しんがくの道みちは開ひらかれている。わが国くにの奨学金しょうがくきん制度せいどがさほど充実じゅうじつしていないことは、{アメリカ}との比較ひかくで明あきらかである。わが国くにには機会きかいの不平等ふびょうどうは残のこっているといえる。逆ぎゃくに、{アメリカ}では機会きかいの平等びょうどうへの執着しゅうちゃくは強つよいといえる。もっともわが国くににおいても、国民こくみんの所得しょとく水準すいじゅんが向上こうじょうしたことによって、親おやの経済力けいざいりょくが原因げんいんとなって進学しんがくできないという{ケース}は以前いぜんより減少げんしょうしており、この問題もんだいの不平等性ふびょうどうせいは低下ていかしている。もう一つ例れいをあげてみよう。企業きぎょうが新卒者しんそつしゃを採用さいようする時ときに指定校していこう制度せいどというものがある。特定とくてい大学だいがくの学生がくせいのみに受験じゅけん・面接めんせつの機会きかいが与あたえられ、他ほかの大学生だいがくせいにはその機会きかいがない制度せいどである。企業きぎょうがこの制度せいどを採用さいようする理由りゆうは次つぎの通とおりである。第一だいいちに、入学にゅうがく試験しけんのむずかしい大学だいがくや、良よい教育きょういくをしている大学だいがくの学生がくせいは、知的ちてき活動かつどうや生産性せいさんせいの上うえで優秀ゆうしゅうな学生がくせいという印象いんしょうがある。第二だいにに、それらの大学だいがくの卒業生そつぎょうせいが、企業きぎょうで良よい成果せいかを上あげていることをその企業きぎょうが知しっている。第三だいさんに、応募おうぼしてくるすべての学生がくせいを無制限むせいげんに選考せんこうすれば{コスト}がかかる。これらを要約ようやくすれば、企業きぎょうにとっては合理的ごうりてきかつ選択せんたくの{リスク}が小ちいさい制度せいどなのである。ただし、ここで指定校していこう制度せいどの合理性ごうりせいを指摘してきすることによって、「受験戦争じゅけんせんそう」を肯定こうていする気きはない。(中略ちゅうりゃく)過酷かこくな「受験戦争じゅけんせんそう」には負まの側面そくめんが多おおいので、戦争せんそうをなくする必要性ひつようせいは高たかい。ところで、特定とくてい大学だいがくいがいの学生がくせいにとっては、就職しゅうしょく試験しけんの機会きかいが最初さいしょから排除はいじょされているので、機会きかいの不平等ふびょうどうと映うつるかもしれない。確たしかにその側面そくめんがあることは否定ひていしえないが、よく考かんがえるとその人達ひとたちにも特定とくていの大学だいがくの受験じゅけんの機会きかいが高校生こうこうせいの時ときにあったわけで、機会きかいの平等びょうどうが完全かんぜんに排除はいじょされていたとはいえない。実際じっさいにその大学だいがくを受験じゅけんしたかどうかは問題もんだいではない。しかし高校生こうこうせいにまで企業きぎょうに指定校していこう制度せいどがあることを知しっている、と期待きたいするのは酷こくである。機会きかいの平等びょうどうをこのように考かんがえてみると、意外いがいに複雑ふくざつな原理げんりなのである。機会均等きかいきんとうの原理げんりを実施じっしすることはそう容易よういではないが、理想りそうとして常つねに念頭ねんとうにおかれるべき原理げんりである。すべての意欲いよくのある人ひとには、参加さんかと競争きょうそうの機会きかいが与あたえられることが望のぞましい。教育きょういくの機会きかい、仕事しごとの機会きかい、就職しゅうしょくの機会きかい、昇進しょうしんの機会きかい、人生じんせい上じょうの様々さまざまな活動かつどうにおいて多おおくの人ひとに平等びょうどうな機会きかいが与あたえられた末すえに、参加者さんかしゃが競きそい合あうこととなる。競争きょうそうの結果けっか勝者しょうしゃと敗者はいしゃが出でることは仕方しかたのないことだし、勝者しょうしゃにも順位じゅんいづけが行おこなわれることもやむをえない。(橘木たちばなぎ俊詔としあき『日本にほんの経済格差けいざいかくさ』岩波書店いわなみしょてんによる)酷こくである:厳きびしすぎて無理むりがある念頭ねんとうにおく:意識いしきする、考慮こうりょする
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