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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

僻邑

[へきゆう]
都会から遠く離れたへんぴな村。 かたいなか。
「山村~に居り/学問ノススメ(諭吉)」

คำที่เกี่ยวข้อง

僻

(1)へんぴな・こと(さま)。 「~の又~なる千山万岳/日光山の奥(花袋)」 (2)かたよっていること。 「~をやめ邪をふせぐ/正統記(嵯峨)」

僻

※一※ (名) (1)名詞の上に付いて複合語をつくり, 道理に合わないこと, 正当でないことなどの意を表す。 「~ごと」「~目」「~耳」 (2)正常でない心のたかぶり。 かんしゃく。 「阿波の客が~起して/浄瑠璃・阿波の鳴門」 ※二※ (形動) 〔中世語〕 正当でないさま。 変わっているさま。 「西僻とは西のはてのをかしい~な処ぞ/史記抄 10」

僻み

ひがむこと。 ひねくれた心で物事を曲げて受け取ること。 また, その心。

僻事

〔古くは「ひがこと」とも〕 (1)事実に合わないこと。 まちがい。 (2)道理に合わないこと。 悪事。 「いかにいかに~したる事のあるかと/愚管 4」

僻陬

〔「陬」は隅(スミ)の意〕 へんぴな土地。 僻地。 「~の地」「~孤嶋/高橋阿伝夜叉譚(魯文)」

偏僻

(1)心がかたよりねじけている・こと(さま)。 「奇矯~なる下宿の主婦(アルジ)/罪と罰(魯庵)」 (2)都から遠く離れた土地。 かたいなか。 「~の地」

僻見

一方にかたよった意見。 ひがんだ考え。 偏見。 びゃっけん。 「彼に対する~で/明暗(漱石)」

僻見

「へきけん(僻見)」に同じ。

邑

(1)むら。 集落。 (2)中国, 西周および春秋時代初期の城壁で囲まれた都市国家。 また, 諸侯の封土をさす。

邑

漢字の旁(ツクリ)の一。 「都」「部」などの「阝」の部分。 偏(ヘン)の「こざとへん」と区別していう。 人の居住地・地名などを表す文字を作る。 おおざる。 のぼりざと。 〔漢和辞典では一般に「邑」(七画)に配列される〕

邑君

(1)農民のかしら。 むらおさ。 「又よりて天の~を定む/日本書紀(神代上訓)」 (2)漁夫の長。 「~召して大網引かせなどし給ふ/宇津保(吹上・上)」

都邑

(1)まちとむら。 (2)都会。 みやこ。

郷邑

村里。 むら。

封邑

封ぜられた領地。 封土。 封地。

市邑

都市。 都会。 町。

林邑

90, A面及びB面)に、ふたつの植物トーテム・クラン、椰子王家と檳榔子王家の並立が記録されている。椰子と檳榔子はサンスクリット碑文(A面)ではNarikelaとKramukaであり、チャム語碑文(B面)もまた檳榔子/Kramukaをチャム語でPinangと訳す(椰子/Narikelaに対

邑部

ひざまずいた人に象る「卩」の会意文字。引伸して都市・みやこの意。 「邑」「都」「國(国)」はいずれも古代の都市国家を意味した。甲骨文の研究によると殷代に最も早く都市の意味を獲得したのは「邑」であり、例えば王城の商を商邑と呼んだ。周代において

王邑

天鳳元年(14年)、王莽の命で王邑は太傅平晏と共に洛陽に派遣され、王莽のために宗廟・社稷・郊兆の建設予定地を選定した。天鳳3年(16年)2月、大地震と大雪が発生したため、王邑は骸骨を乞うたが、王莽は辞職を認めなかった。地皇元年(20年)7月、王莽が長安の南に祖廟を建築しようとすると、王邑は大司徒王尋と共に符節を与えられ、建築工事を指

邑借

浪郡と三韓支配層との交渉が本格的にはじまるのは、紀元前1世紀中葉から後葉であるが、慶尚道地域における紀元前1世紀代の漢式遺物は、再加工品を除いて、慶尚南道昌原市茶戸里1号墳、慶尚北道慶州市朝陽洞38号墳、慶尚北道永川市龍田里遺跡のように鉄製武器類・農工具類など多数の造物を副葬した支配層の墳墓から出土