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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

大慧宗杲

宣州寧国県の出身。16歳で出家し、洞山道微(とうざんどうび)、泐潭文準(ろくたんぶんじゅん)に参禅し、東京(トンキン)にある天寧寺で兜率従悦(とそつじゅうえつ)(黄竜派)に学んだあと、圜悟克勤(えんごこくごん)のもとで悟りを開き嗣法した。紹興7年(1137年)に臨安の径山能仁禅院(五山の

คำที่เกี่ยวข้อง

宗近慧

宗近 慧(むねちか けい、1992年5月29日 - )は、広島県出身のサッカー選手。Jリーグ・カマタマーレ讃岐所属。ポジションはDF。 サンフレッチェ広島ユース時代には主将として高円宮杯で優勝しており、U-17代表候補であった。 2015年1月24日、横浜スポーツ&カルチャークラブへの内定が発表さ

杲宝

受けた。東寺勧学会学頭・法印・大僧正を歴任する一方、真言教学の研究に専念し、高野山の宥快とともに真言教学の中興の祖と称される。 『杲宝記』 『大日経疏演奥鈔』 『三十卷教王経文次第』 『理趣釈秘要鈔』 『開心抄』 『金剛頂宗綱概』 『大日経教主本地加持分別』 『宝冊鈔』 『徳一未決答釈』 表示 編集

元杲

勧学院(藤原氏の大学別曹または諸大寺院が建てた学校)に学んだ後、醍醐寺の元方に師事して出家、また一定(いちじょう)・明珍(みょうちん)らに学んだ。淳祐・寛空に灌頂を受け、安和元年(968年)内供奉十禅師・東宮護持僧となった。天元4年(981年)権律師、天元6年(983年

邢杲

流民10万戸あまりを率いて、北海郡で起兵し、漢王を自称し、天統の元号を立てた。その反乱軍は山東の人々に「𦧟楡賊」(とうゆぞく、「𦧟」は「舌」+「沓」の字)と呼ばれた。河北の人々が楡の葉を食べるのを好むことからつけられた呼称であった。邢杲は東の光州を攻略して、海に到達すると、引き返した。同年(永

安慧 (天台宗)

844年(承和11年)出羽国の講師に任じられ、その地の法相宗徒の多くを天台宗に改宗させたという。848年(承和13年)延暦寺定心院十禅師に任じられ、内供奉十禅師を経て、864年(貞観6年)天台座主に就任した。 ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 68頁。

顔杲卿

安禄山の命令で井陘口を守る李欽湊を偽りの命令で召して、酒を飲ませた上で、袁履謙や参軍の馮虔・郡豪の翟万徳と協力して殺した。また、李欽湊の将の潘惟慎ら党類を殲滅する。続いて馮虔・翟万徳と藁城尉の崔安石を派遣し、范陽で兵の徴集にあたっていた安禄山の腹心の高邈を捕らえ、さらに帰還してきた何千年をも捕虜とし

慧

(1)知恵。 さとり。 (2)〔仏〕 真理を見通す心のはたらき。 智慧。 般若(ハンニヤ)。 「戒・定・~の三学を兼備し給へる独(ヒトリ)の沙門おはしけり/太平記 2」

大谷演慧

鍵役。同派函館別院住職。1993年~1996年の間は、同派門首代行を務める。院号は信行院。法名は闡教。同派第二十四代法主(門首)・大谷光暢の従兄弟にあたる。 1914年(大正3年)11月14日、東本願寺第二十二代法主・大谷光瑩(現如)の十一男で鍵役や函館別院住職を務めた大谷瑩潤の長男として生まれる。

癡兀大慧

癡兀大慧(ちこつ だいえ、1229年(寛喜元年) - 1312年12月20日(正和元年11月22日))は、鎌倉時代の僧である。伊勢国出身。平清盛の子孫とする説がある。 天台宗や真言宗の教えに精通した僧であったが、東福寺の円爾に論争を挑んだところ、逆に感化されてその弟子となった。 [脚注の使い方] ^

大宗

(1)物事のおおもと。 根本。 (2)ある方面における権威者。 「日本画の~」「歌壇の~」

笠間杲雄

ペルシア アラビア トルコ遍歴』 岩波書店、1935年 『回教徒』 岩波新書、1939年 『青刷飛脚』 六興商会出版部、1941年 『大東亜の回教徒』(太平洋協会編「太平洋図書館」) 六興商会出版部、1943年 『〈戦前戦中〉外交官の見た回教世界』 書肆心水、2018年 共著 『波斯より土耳古まで』

大慧會教団

大慧會教団(だいえいかいきょうだん)は、石倉保助と石倉マツヱによって設立された、日蓮系・法華系の新宗教である。いわゆる霊友会系教団の一つ。大慧会教団などと新字体で表記されることもある。 石倉保助(教団での尊称:法明さま) 石倉マツヱ(教団での尊称:普明さま)

慧灌

慧灌(えかん、生没年不詳)は、飛鳥時代に高句麗王が日本の朝廷に貢上し、来日した僧。日本の三論宗の祖。 初め隋に入って中国の嘉祥大師(吉蔵)から三論教学を学んだ。『日本書紀』によると、625年(推古33年)正月高句麗王が日本の朝廷に貢上して来朝した(貢上=「貢物を差し上げる」)。勅命により元興寺に住し

安慧

唯識派の唯識十大論師の一人。 徳慧(とくえ、Guṇamati)の弟子あるいは後輩。無相唯識の学説で知られ、 護法の有相唯識と対立する。 以下の著作がある。 『阿毘達磨雑集論』 『大乗廣五蘊論』 『大乗中観釈論』 - 中観派の開祖龍樹の中論への注釈 『倶舎論実義疏』 - 倶舎論への注釈 『三十頌釈』 『中辺分別論釈疏』

慧慈

(?-622) 朝鮮, 高句麗(コウクリ)の僧。 595年来朝, 聖徳太子の師となり, 20年後に帰国。 太子の著した「法華義疏」を高句麗に伝えたといわれる。

慧眼

物事の本質を見抜く鋭い眼力。 鋭い洞察力。 また, それをもつこと。 「~の士」 → えげん(慧眼)

慧眼

〔仏〕 五眼の一。 この世の空(クウ)であるという真理を悟る能力をもつ目。 二乗(ニジヨウ)の修行者, 菩薩, 仏が備える。

慧敏

賢いこと。 知恵があって気が利くこと。 また, そのさま。 「アリスの~なるや一聞忽ち其趣を解し/花柳春話(純一郎)」

定慧

禅定(ゼンジヨウ)と智慧(チエ)。