Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Todaii Japanese
Switch language – current: th
Logo Japanese
[email protected]
(+84) 865 924 966
315 Truong Chinh, Ha Noi
www.todaiinews.com
DMCA.com Protection Status

เกี่ยวกับ Todaii Japanese

เรื่องราวแบรนด์คำถามที่พบบ่อยคู่มือผู้ใช้ข้อกำหนดและนโยบายข้อมูลการคืนเงิน

โซเชียลเนตเวิร์ค

Logo facebookLogo instagram

เวอร์ชันแอป

AppstoreGoogle play

แอปอื่น

Todaii German
Todaii English
Todaii Chinese
Todaii Korean
DMCA.com Protection Status

ลิขสิทธิ์เป็นของบริษัท eUp Technology JSC

Copyright@2026

พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

小里氏

弘治3年(1557年) この頃より神箆城主の延友信光(土岐三兵衛)と不和になる。 永禄8年(1565年)には高野口(神篦城付近)で織田方(森長可)・武田方(秋山虎繁)両軍の軍事衝突が起こった(高野口の戦い)。その際に光忠・光次は信長に従い、秋山虎繁の軍を撃退した。

คำที่เกี่ยวข้อง

里見氏

安房里見氏(あわさとみし)は、戦国時代に安房国を掌握、房総半島に勢力を拡大し、戦国大名化した氏族である。「関東副帥」(関東管領の異称)もしくは「関東副将軍」を自称した。 安房里見氏初代・里見義実は、結城合戦で討死した里見家基の子息とされる人物で、安房国に移り安西氏を追放して領主と

大里氏

室町~戦国期にかけては安東氏や津軽氏と結び、永禄元年(1558年)鹿角侵入を図った檜山の安東愛季が比内浅利氏を仲介としての誘いに応じ、同8年(1566年)(秋田)愛季の廻文に同心の旨加判を行った一人として大里備中が名を連ね、その翌9年に秋田勢と呼応して長牛城を攻撃し、鹿角は一時安東方の占有するとこになったが、同11年(

小寺氏

小寺氏(こでらし)は、日本の武家氏族の一つ。 播磨の守護大名・赤松氏一門宇野氏の庶流であり、姫路城のち御着城を本拠として勢力を伸ばした。 小寺氏は、赤松氏の祖である赤松頼範の四男将則を遠祖として、将則の曾孫宇野頼定(うのよりさだ)の次男頼季(よりすえ)が小寺氏を称したと伝えられている。一説に小寺氏は

小野氏

が美濃国小野に住み、小野氏を名乗ったという。この一族の小野継胤は大江広元の嫡男の大江親広の配下であったが、承久の乱により敗れた親広が出羽国寒河江荘に潜居した際付き従ったという。承久の乱では平賀氏当主で6か国守護を継承した惟信も後鳥羽上皇に付き、後に配流された。小野継胤の子顕胤は、乱の後許された親広の

小出氏

流とされるなど、系図上の流れは二つあり、小出秀政までの系譜も諸説あって定かでは無い。 小出氏の祖である能綱の父が為綱といった点に着目すれば、三日祝と呼ばれた大祝二郎諏訪為継(一に為綱)の後裔であったと考える説もある。 はっきりしているのは小出秀政が豊臣秀吉の母大政所の妹(栄松院)の夫であったことで大

小田氏

小田泰知(やすとも) - 名は小田泰朝とも。北条氏得宗家当主・北条泰時より偏諱を賜う。 小田時知(ときとも) - 北条氏得宗家当主(経時または時頼)より偏諱を賜う。 小田宗知(むねとも) - 北条氏得宗家当主・北条時宗より偏諱を賜う。正安3年(1301年)より常陸守護。 小田貞宗(さだむね) -

小鴨氏

小鴨氏(おがもし)は、平安時代から安土桃山時代にかけて伯耆国東部(東伯耆)で栄えた一族。 「小鴨家系図」によると天智天皇に号を賜った「小鴨主」を祖としており、伯耆国では最も歴史が長い一族である。伯耆国久米郡小鴨郷が一族の出身地とされ、国府の在庁官人を務め、それをもとにして勢力の拡大を行っていた。築

小槻氏

ら基綱が養子に入って以降、源氏を本姓としている。 元来は朝廷の機関だが、官中の庶務を掌握するという性質上、小槻氏の相伝となる(官司請負制も参照)。 官文庫 史は公文書の作成・有職故実の調査を行うため、太政官文殿の管理も行った。官務家となった小槻氏は、その職の便宜上私的に文庫を有していたが、時代が移る

小山氏

性もあるとする)。例えば木戸法季・結城基光は下野守護であったが下野守ではなかった。さらに磯貝説で下野守護とされている宇都宮氏綱自身も1352年に下野守から伊予守に補任されたことは足利尊氏の御教書などから判明しており、当の氏綱自身も伊予守の署名をした文書を発給しているが、磯貝説ではこのことに関する説明がつかなくなる。

小幡氏

上州小幡氏の一族である小幡四郎左衛門尉(真壁小幡氏)の流れが入っている可能性が高い。正俊の家紋は直之系と似て「軍配団扇内七五三笹」である。 陸奥国にある小幡氏は、伊達郡東根上郷小幡村(現・福島県伊達市保原町小幡)から起こった一族である。宇都宮氏の一族で古くから伊達氏に仕えていたと思われる。留守氏の

小見氏

生島足島神社に残された武田信玄配下多数の起請文の中に麻績清永の物は2通あって異彩を放っている。前日付の決まりきった内容と異なる翌日の再提出文は国侍同士で仲良くしないこと。特に互いに元村上氏の配下であって領地を接している屋代氏や室賀氏、大日方氏とは殊更仲良くしないことを誓わされている。

小由里

アッコにおまかせ! (TBS系・2006年4月~)アシスタントとして出演。 お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル(フジテレビ系・2008年8月19日) オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル(フジテレビ系・2008年11月14日) ※上記2番組ともかつて同じ事務所だった福

小里村

小里村(おさとむら)は茨城県久慈郡にかつて存在した村である。 現在の常陸太田市、旧里美村の北部に位置する。 村域は阿武隈高地の一部に位置し、山がちな地形になっている。 村は久慈川の支流里川の上流域に位置する。 村名はかつて存在した小里郷の東部に位置していたことに由来する。 1889年(明治22年)4月1日

小笠原氏

小笠原氏の家名のもとになった「小笠原」の地名は甲斐国巨摩郡に見られ、小笠原牧や山小笠原荘があった現在の山梨県北杜市明野町小笠原と、原小笠原荘があった現在の山梨県南アルプス市小笠原に居館があったとされる。なお、今日の研究では原小笠原荘が小笠原氏の本貫であったと考えられている。 小笠原氏の祖の小笠原

小山田氏

小山田氏(おやまだし、こやまだし)は、日本の氏族の一つ。小山田氏(おやまだし)は武蔵国、小山田氏(こやまだし)は薩摩国に由来する。他にも陸前、陸中、羽後、越後、筑前、豊前などに「小山田(おやまだ)」の地名が存在した。 桓武平氏良文流秩父氏の流れを汲む秩父重弘の子、有重が小山田氏を称する。

源氏小鏡

東北大学図書館狩野文庫蔵本『光源氏物語抄解』 国立国会図書館蔵本『光源氏之許可紙』(白井氏旧蔵本) 天理図書館蔵本『源海集』(桃園文庫旧蔵本) 彰考館蔵本『源概抄』 内閣文庫蔵本『木芙蓉』 国立国会図書館蔵本『木芙蓉』 広島大学国文研究室蔵本『木芙蓉』 大阪大学付属図書館蔵本 天理図書館蔵本 鶴見大学図書館蔵本

小田野氏

尊氏に従って歴戦功あり、その鎮西にあり豊後鞴浜に戦いて天龍寺を落とす時に従軍す 正平七年 師義 尊氏に従って畠山国清を討ち播磨小清水雀松原等諸々に戦ふ 尊氏利非ず攝津松岡城に走る 敵復り攻む、師義拒戦して死す 尊氏其の子孫を遇するに特に厚し、 国安、高柿、松平、小田野、小里郷陸奥依上保等を與ふ」とある。大内政之介著『山入一揆と佐竹氏』(筑波書林、1991年)5頁参照。

小野寺氏

遠藤巌「雄勝郡地頭小野寺氏」秋田県文化財保護協会『出羽路』92、1988年 遠藤巌「戦国大名小野寺氏」『秋大史学』34、1988年 遠藤巌「中世期の出羽国平鹿郡の領主と領域」『宮城教育大学紀要』34、1998年 佐藤一幸「戦国末期雄勝郡西馬音内領の構造」『秋大史学』37、1991年 伊藤清郎・山口博之編『中世出羽の領主と城館』高志書院、2002年(平成4年)2月

姉小路氏

て三木直頼のときに飛騨を支配する戦国大名にまで成長した。 そして直頼の子・三木良頼のとき(天文23年(1554年)10月頃)より、飛騨国は錯乱状態になった。錯乱の詳細は不明だが、「三ヶ御所(姉小路氏の古川殿・小島殿・向殿の城)」を巡っての争いであったとされる。永禄元年(1558年)には従五位下に叙