佐賀県の
吉野ヶ
里遺跡で
出土した
弥生時代後期の
石棺墓について
佐賀県は、14
日内部の
発掘調査を
終え、
副葬品は
見つからなかったと
明らかにしました。
一方で、ひつぎ
全体が
赤く
塗られていたこと
などから「
邪馬台国が
存在したとされる
時代の
有力者の
墓であることが
裏付けられた」としています。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡では、手つかずのままとなっていた遺跡のほぼ中央部でことし4月、弥生時代後期の石の墓=石棺墓が見つかり、今月5日から始まった内部の発掘調査では有力者の墓にみられる赤い顔料がひつぎの広い範囲で確認されました。
佐賀県の山口知事は記者会見を開き、14日午前中に内部の発掘調査を終え、期待されていた副葬品は発見されなかったと明らかにしました。
山口知事は「副葬品が残されていれば埋葬されていた人の社会的な地位や時代がより確定できたかと思うと残念だ」と話しています。
一方で、ひつぎの広い範囲で見つかっていた赤い顔料が底の部分からも見つかったと明らかにし「邪馬台国が存在したとされる時代の有力者の墓であることが裏付けられたと評価している」と述べました。
佐賀県は今後、内部の土や赤い顔料の分析を行うとともに、発掘調査が進められてきた遺跡のほぼ中央部のうち、まだ残されている区域の調査を進めることにしています。
石棺墓が埋葬された弥生後期は「邪馬台国」が存在したとされる時代で、発掘調査によってこの時代の新たな手がかりが見つかるのではないかと注目されていました。