人間の知能を拡張するために生成AIを使うべき
近年、ChatGPTを始めとする生成AIを通常の検索エンジンやSNSのように日常的に活用する人は増えている。雑事や仕事上のちょっとした調べ物を助けるのみならず、独りでいる時間に話し相手がいないので友人としてあるいは相談相手としてChatGPTとやり取りしている人もいるだろう。そのような中、アメリカのケネソー州立大学(ジョージア州)で情報システム学科助教を務める哲学者にしてデータサイエンティスト、アーロン・フレンチが「ChatGPTを使うとバカになるのか?」という疑問について解説した。
2008年、アメリカの月刊誌The Atlanticが「Google Making Us Stupid?(Googleは私たちを愚かにするのか?)」という挑発的な記事を発表して話題を呼んだ。この記事の筆者、ニコラス・カーは、Googleなどの検索エンジンに代表されるテクノロジーによって、現代人は何かを覚えたり、学んだりする必要がなくなってしまったとした。それどころか、そのような最新テクノロジーがもたらすのは、深く考える能力の衰退と知識の保持力の減退でしかないと主張した。しかし記事の作成時点では、検索にしろ何にしろ、エンドユーザーには結果を解釈して何を指すのかを判断する能力、さらに問題の文脈を理解する能力が求められていた。
しかしながら、ChatGPTなどの生成AIツールの台頭に伴い、インターネットユーザーが知識だけでなく思考までオートメーション化できる新たな時代が到来した。生成AIツールは人間の社会に流通している情報を引っこ抜いてくるだけでなく、該当する情報を分類したり解析したりするのみならず、要約したり内容を吟味したりすることにも長けている。そうした点について、アーロン・フレンチは「これは根本的な変化である。生成AIは人間の思考と創造性に取って代わる可能性をもった初めてのテクノロジーである」と述べている。
以上を踏まえて考えると、「ChatGPTのような生成AIに代表される新たなテクノロジーは私たちを愚かにするのだろうか?」という問いはナンセンスとは言い切れない。多くの人々が認知的なタスクを生成AIにアウトソーシングするようになった今、これらのテクノロジーツールは何をもたらし、同時に何を失わせるのかを考える価値はある。
生成AIは人間が情報にアクセスし、情報を加工する方法に革命をもたらした。AIlは指示を出してから3秒もしないうちに明確で洗練された文章を出力してくれるのだ。こう述べるとその内容の正否にはかかわらず、少なくとも効率的なのは間違いない。Googleが登場以来、人々の働き方や思考の方法には根本的な変化が生じていたが、それに拍車をかけるように、生成AIによっても人々の思考内容が大きく変化しつつある。多くの人々はすでに情報源を鑑みることや、曖昧さに対処することをやめてしまった。
しかしその利点には代償も伴う。多くの人々がAIにタスクを依存して仕事を完了させるようになって既に久しい。AIに依存すればするほど、人間は批判的思考力及び問題解決能力、深く関わる能力を失ってしまい、知識からもますます遠ざけられてしまいかねない。そんなことにはなるまいと思うかもしれないが、生成AIの普及が人間に与える影響を研究した論文でさえ限られている。そのため、AI生成コンテンツを受動的に消費することは、知的好奇心を減退させ、集中力を奪い、さらに長期的な認知発達に悪影響を与える中毒の危険性さえはらんでいると警戒感を表明するのもあながち見当違いなことではない。
生成AIの導入によって人間の社会がどう変化するのかをより深く理解するために、認知能力についての社会心理学的理論を参考にするのも有益な視点を提供するだろう。例えば、「愚か者の山」の一部であるダニング・クルーガー効果は、能力の低い人は自分の能力を過信しがちであるとし、これは「彼らは自分が何を知らないのかについて何も知らない」からだという。これは自信に満ちた相貌「ダニング・クルーガー山」だ。逆に能力の高い人は、同じように無知なのではなく、「自分は知らないことがあることを知っている」に過ぎないから、自信の度合いが低くなる。これは不安に満ちた「谷」である。
このフレームワークを生成AIに適用すると、ChatGPTなどに依存して特定のトピックについてのコンテンツを繰り返し生成していると、自分はこのトピックに詳しいと誤解してしまう。「愚か者の山」で話が止まるユーザーがいれば、AIを認知能力を強化するためのツールとして最適に活用するユーザーもいる。実際、AIが自分の認知能力を拡張するための補助ツールとして機能しています、それに従いNLP能力への応答が適切に機能するにはユーザーの使い方次第です。
人間の知能を置換するために生成AIを使うべきではありません、あくまでも知能を拡張するためのツールとして生成AIを使えば良いです。たとえば、ChatGPTに質問をした後、その解答に満足して思考を終えるのではなく、ChatGPTの解答自体を何か新たな思考を切り開く起点として使えば、AIはトピックについてのあなた自身の知識や能力をさらに拡張するためのツールに成り得ます。発言を要約すれば、人間の知能を置換するツールとしてではなく、知能に拡張をもたらす手段として生成AIを利用するべきだということです。
言い換えれば、きみらがChatGPTや生成AIを利用すべきか否かよりも、むしろいかなる使い方で関与していくかが重要になってくる。無批判に利用すれば、それは知的怠慢そのものでしかありえないだろう。ChatGPTの出力にはユーザーが自らの知識や経験を付与する余地がないので、何か疑問に思うことがあろうと前提を疑うこともせず、代わりとなる案や識見を求めようともせず、代替の見解を探すこともせず、ましてや深い分析を加えたりすることなどあろうはずもなく、ただただその出力を受け入れることしかありえないだろう。このようにChatGPTを知的怠慢に利用する人の認知はそれなりに疲れ果てている。しかし、それはChatGPTを利用しているのではない。ChatGPTに利用されるものである。とどのつまりは、ChatGPTをうまく活用して知性を伸ばすか否かはきみら次第だ。