実験科学の世界では、仮説にぴたりと合致するような結果が得られることはまずないと「いってよい。
在實驗科學的世界裡,幾乎不可能獲得與假說完全一致的結果——可以這麼說。
その際、ほとんどの研究者はこう考える。
當時,大多數研究人員都是這麼想的:「我的假設沒有錯,只是實驗方法不好,所以沒能得到好的數據。」
自分の仮説は間違っていない。
ただ、実験の方法がよくないから、よいデータが出ないのだと。
そこで条件を少しずつ変えて、繰り返し実験を行うことになる。
しかし、ほとんどの場合、実験がうまくいかないのは、実は、仮説そのものが間違っているからなのだ。
だが、研究者は頑迷なので自説に固執してしまう。
かくして膨大な時間と試行錯誤が浪費される。
なので、科学研究にほんとうに必要な才能は、天才性やひらめきというよりは、むしろ、自己懐疑、失望に対する耐性、潔い諦め、といったものとなる。
因此,真正適合科學研究的人才,不是天才或靈感,而是對自我的懷疑、承受失望的能力,以及果斷放棄的勇氣。
逆に、実験科学の世界では、時として、思い描いたとおりの、いや、想像以上にすばらしい見事な実験データが得られることがある。
另一方面,在實驗科學的世界裡,有時也能獲得遠超想像的精彩實驗數據。
こんな時、研究者に求められることは何か。
ぬか喜びしてはならぬ、ということである。
実験の方法に穴があるから、見せかけだけの結果が出ているのかもしれない。
つまりここでも自己懐疑、(希望に対する)耐性、諦め、が必要となる。
英語にはこんな言い方がある。
too good to be true(できすぎは、真実ではない)。
もう少しだけ研究者に冷静さがあればあの「発見」はなかった。
そんな誤謬はいくつでもある。