地震発生当時、益城町では道路が狭く入り組んでいたり住宅が倒壊したりして場所によっては救急車などの緊急車両がすぐに入れませんでした。
このため中心部の28.3ヘクタールで狭い道路を造り直し、宅地や公園などを新たに整備する区画整理事業が続いています。
しかし、3月末現在、
▽完成した宅地は全体の19%、
▽土地の引き渡しができたのは318人の地権者のうち20%余りの70人にとどまっていて、県によりますと、事業が完了するのは6年後の令和10年3月末の予定です。
こうした公共事業などの影響で、益城町によりますと地震から6年たった今もなお32世帯83人が仮設住宅などでの暮らしを余儀なくされているということです。
町内に住む80代の女性は、「地震のことを思い出していました。色々まだ出来ないことがたくさんあります。大変でした」と話していました。 また、通学途中の女子高校生は、「熊本地震は横揺れで怖かったです。毎日が怖くて怯えているような状況でした。以前は少しの揺れでも怖がっていましたが、今は大丈夫になりました。復興に向けて町の人たちに頑張ってほしいです」と話していました。
益城町ではピーク時の2017年には、18の仮設団地に3900人あまりが生活していましたが、現在は「木山仮設団地」の1か所に集約され、先月末の時点で16世帯48人が暮らしています。 益城町の自宅が全壊し、現在も仮設住宅に住んでいる70代の男性は「自宅のあった場所が区画整理の対象で、事業が進まないためここに住まざるをえない。営んでいた自動車整備の工場も被災し、お金もたまらないため、再建のめどは立っていない。娘夫婦に心配をかけたくない思いが強く行政にはもっとやる気を出して事業を進めてほしい」と話していました。 益城町の自宅が全壊して妻と娘、それに孫と4人で木山仮設団地に暮らしている林清治さん(83)は「6年たって思い返してみると、仮設住宅に来てからは脳梗塞にもなってあまりいいことがなかったなと思います。ただ、ようやく町内の元の場所に家を再建するめどがたったので、また家族いっしょの家で暮らすのが今から楽しみです」と話していました。 ※この記事で、一時、益城町の仮設団地に16世帯32人が入居とお伝えしましたが、正しくは16世帯48人でした。
また、散歩中の男性が鳥居に手を合わせる姿も見られました。 神社は、拝殿も今年度中に再建される見通しだとということです。 禰宜の矢田幸貴さんは「地震から6年がたち、少しずつ益城町の復興が進んできたと実感しています。その一方で、町は区画整理などで地震前の風景から一変したので、神社だけでも地震前の姿を取り戻して、地域の方の心のよりどころとしてコミュニティの復興に寄与していきたいです」と話していました。
地震で自宅が全壊した近くの70代の女性は「家が壊れても涙は出なかったのに地震から1週間後に熊本城が心配で訪れてその被害を見たときにはじめて涙が流れました。熊本城はかけがえのない存在なのでもっと人や町の復興が進んで元気になるように毎朝お祈りしています」と話していました。 また、熊本市の70代の男性は、「2回の揺れの恐ろしさは経験した人にしかわからないと思います。少しずつですが復旧が進んでいる熊本城はみんなの心の支えです。二度と味わいたくないですが、災害は忘れたころに起きるので日頃から備えをしておきたいです」と話していました。 また、住んでいた集合住宅が半壊したという熊本市の70代の女性は「2回目の揺れのあと近所の人と着の身着のままで避難して熊本城の御幸坂のベンチで一夜を明かしたのを思い出します。何かが崩れるような音を聞き熊本城の被害を見たときは本当に驚きました。人は忘れていくものなので復旧を進めるとともに被害を伝えるものも残してほしいです」と話していました。 熊本城は、天守閣の復旧が去年終わりましたが、被災したすべての建物の復旧が完了するのは、16年後の2038年の予定です。
そして「インフラの復旧・復興は着実に進む一方で、現在でも応急仮設住宅などに入居されている方がいることから、熊本県では、住まいの再建の支援や、入居者に対する訪問活動を通じたアドバイスなどを実施していると承知している」と述べました。 そのうえで「熊本地震の経験と教訓を後世に伝承するため、政府においても災害発生時の速やかな対応や、防災・減災、国土強じん化に、引き続きしっかりと取り組んでいく考えだ」と述べました。
益城町では
益城町の仮設住宅では
益城町 木山神宮 けさの様子は
熊本城 二の丸広場では
官房長官「防災・減災、国土強じん化にしっかりと取り組む」