
地震で自宅や畑が被害を受けた70代の男性は「だいぶ落ち着いてきましたが、新しい橋を通ると当時の地震の被害を思い出します。新型コロナの影響で観光客が少なくなっているので、地震前のようなにぎわいが早く戻ってほしい」と話していました。
いちご農家の50代の男性は「6年は長いようであっという間でした。黙とうしながら、犠牲になった人や全壊した家など当時のことを思い出していました。多くの人にもう一度定住してもらえる、元気な村にしていきたいです」と話していました。
6年前の熊本地震の本震で阿蘇市では震度6弱の揺れを観測して、2日前に発生した前震と合わせおよそ1000棟の住宅が全半壊し、災害関連死で20人が犠牲になりました。 16日は午前10時に市内に追悼のサイレンが鳴り響き、市役所の駐車場では職員およそ30人が黙とうして犠牲者に祈りをささげました。 職員を前に佐藤義興 市長は「新型コロナで生活環境が大きく変わったが、インフラの復旧などにより地震前の活気が戻ってくることを期待している。さらなる発展を目指して熊本地震の教訓を風化させることなく、一丸となって安心・安全なまちをつくっていく」と決意を述べました。 復旧・復興業務を主導してきた高木洋 総務部長は「被災者にしっかり目を向け、声を聞き、心の復興を第一に考えていきたい。阿蘇地域は災害を避けては通れないということを常に頭の中に置いてあらゆる災害に迅速に対応していく」と話していました。
南阿蘇村立野では、熊本地震による家屋の倒壊と大規模な土砂崩れで、新所地区の片島信夫さん(69)と妻の利榮子さん(61)など4人が亡くなりました。 片島さんの自宅があった場所の近くには慰霊碑が建てられていて、16日は午前9時ごろから7回忌の法要が営まれ、遺族や住民たちが静かに手を合わせました。 信夫さんの妹のチヅ子さんは「あの時の悲しみは今も癒えないままで心の奥にしまいこんでいます」と涙を流しながら話していました。 夫妻と親交があり、区長として地域の復興に取り組む山内博史さん(68)は「寝巻き姿で必死の思いで逃げたのを覚えています。6年がたち、ふるさとの姿は変わってしまいましたが、ここで何があったのか、後世に伝え安心安全な地区にするのが私たちの責任です」と話してました。 南阿蘇村によりますと、立野地域では地震でライフラインが大きな被害を受けるとともに、土砂災害の危険性がある状態が続きました。 被災前は360世帯が暮らしていましたが、ことし3月末時点で半数近くの198世帯まで減少しているということです。
マルシェは熊本地震で崩落した阿蘇大橋近くの展望所で開かれ、南阿蘇村の12の農家や飲食店の人たちが地元でとれた果物やコロッケなどの軽食を販売しています。 御船町から訪れた70代の女性は「地震から6年ということを改めて思い出しました。こうした催しが復興につながればいいと思う」と話していました。 主催者のひとりで南阿蘇村のいちご農家の村上 進さんは「南阿蘇に元気を取り戻したいと思って企画しました。地元の名産品を知ってもらいながら地震の記憶が風化しないようにお客さんにも伝えていきたい」と話していました。 復興の願いを込めたマルシェは17日も開かれるほか、来月以降、毎月第3土曜日と日曜日に開催する予定だということです。
阿蘇市役所で職員が黙とう 復興への誓い新たに
4人犠牲の南阿蘇村立野 遺族や住民が追悼の催し
地震からの復興願い 地元でとれた果物など販売するマルシェ開催