相模原市の
知的障害者施設で
19人が
殺害されてから
9年となった
26日、
追悼式が
行われました。
在相模原市的智障人士设施中发生19人被杀事件已过去9年,26日举行了追悼仪式。
2016年7月26日、
相模原市に
ある県立の
知的障害者施設「
津久井やまゆり
園」で、
入所者19人が
殺害された
事件から
9年となった
26日、
現場に
再建された
施設で
追悼式が
行われ、
遺族など80人あまりが
参列しました。
2016年7月26日,距离相模原市县立智障人士设施“津久井山百合园”中19名入住者被杀害事件已经过去9年。26日,在现场重建的该设施举行了追悼仪式,约有80名遇难者家属等人参加。
まず
黒岩知事が、「
犯人は『
ちゃんとした
会話ができない
人間は
生きている
意味がない』という
考えでしたが、
これは
自分勝手で、デタラメで
完全に
間違ったものです。
首先黑岩知事表示:“犯人认为『不能好好交流的人活着没有意义』,但这是自私、荒谬且完全错误的想法。”
そのことを
私たちは
決して
忘れてはいけません。
そして、
このような
悲しい
事件を
二度と
繰り
返してはなりません」と
式辞を
述べました。
并且,他在致辞中表示:“我们绝不能让这样的悲剧事件再次发生。”
続いて
黙とうが
行われ、
参列した
人たちは
19人を
悼みました。
また、
津久井やまゆり
園の
永井清光園長が
入所者代表の
島田昌尚さんとともに
式壇の
前に
立ち、「
どうか
天国から、
大好きなご
家族や
津久井やまゆり
園の
みんなのことをお
守りください。
此外,津久井山百合园的园长永井清光与入住者代表岛田昌尚先生一同站在祭坛前,说道:“请您在天堂保佑您深爱的家人和津久井山百合园的大家。”
皆さんは
これからもいつま
でも私たちにとって、かけがえのない
存在です」と
追悼のことばを
述べました。
你们今后无论何时,都会是我们无可替代的重要存在。」他表达了追悼之词。
このあと
参列者は、
鎮魂のモニュメントの
前に
移動し
遺族が
希望した
10人の
名前が
刻まれた
献花台に、
花を
手向けて
手を
合わせていました。
之后,参列者们移步到慰灵纪念碑前,在刻有遗属希望铭刻的10人姓名的献花台前,献上鲜花并合掌祈祷。
園では
午後5時まで、
一般からの
献花を
受け
付けます。
この
事件で、
死刑判決が
確定した
元職員の
植松聖死刑囚(
35)は、
再審=
裁判のやり
直しを
申請しましたが、
東京高等裁判所は、ことし
1審の
横浜地裁に
続いて
再審を
認めない
決定をしました。
在此事件中,被判处死刑的前职员植松圣(35岁)申请了再审=重新审判,但东京高等法院继今年一审的横滨地方法院之后,再次作出不予再审的决定。
死刑囚側は
不服として
最高裁判所に
特別抗告しました。
犠牲となった
美帆さんの
母親「
美帆が
見守ってくれている」
事件から
9年に
なるのを
前に、
19歳で
犠牲となった
美帆さんの
母親が、NHKの
取材に
応じ「
何年たっても
悲しみは
癒えないが、『
美帆が
見守ってくれている』と
思いながら
過ごしています」と
今の
思いを
語りました。
母親によりますと、
美帆さんは
自閉症で
重い
知的障害があり、ことばはありませんでしたが、
感情表現が
豊かで
態度などで
自分の
意思を
伝えてくれたといいます。
据母亲所说,美帆患有自闭症并且有严重的智力障碍,虽然不会说话,但她的情感表达非常丰富,总是通过态度等方式传达自己的想法。
今の
心境について
母親は「
9年前と
変わらず、
悲しいままです。
关于现在的心情,母亲表示:“和9年前一样,依然很悲伤。”
何年たっても
悲しみは
癒えません。
それでも
私が
毎日泣いていては
美帆が
心配すると
思うので
心配させないよう
生きています」と
話しました。
不过,我觉得如果我每天都在哭,美帆会担心,所以我努力不让她担心地活着。
美帆さんの
母親は
先月病気のため、
手術を
受けましたが、その
際、
美帆さんの
存在がみずからの
心の
支えになっていることを
改めて
感じたといいます。
美帆的母亲上个月因为生病接受了手术,据说在那时,她再次感受到美帆的存在成为了自己内心的支柱。
母親は「
以前なら
不安で
かなり落ち
込んでいましたが、
今回は
なぜか
落ち
着いていられるような
気がします。
母亲说:“以前的话会感到不安,非常沮丧,但这次不知为何,觉得自己能够保持冷静。”
『
美帆が
見守ってくれている』と
思うと、
穏やかに
過ごせています」としたうえで「
あの日から
9年。
“想到‘美帆在守护着我’,我就能平静地度过每一天。”他还说:“从那一天起已经过去9年了。”
長かったような、
短かったような、わからないまま
時が
過ぎたように
思います。
我觉得时间仿佛在不知不觉中流逝了,不知道是觉得很长还是很短。
1つのことを
終えるとまた
新たなことが
起き、そのたびに
たくさん泣いて、
悩み、
考え、
時間の
流れを
感じるまもないまま
過ごしてきたように
感じます。
完成一件事后,又会发生新的事情,每次都会哭很多,烦恼、思考,仿佛一直在这样度过,甚至都没来得及感受到时间的流逝。
その
中でたくさんの
人々に
出会い、
助けて
頂き、
感謝の
気持ちで
いっぱいです。
在这期间,我遇到了许多人,得到了他们的帮助,心中充满了感激之情。
これからも
私の
できることをしながら
感謝の
気持ちを
伝えていきたいです」と
語っていました。
“今后我也想在自己力所能及的范围内,继续表达我的感激之情。”
理事長「
絶対に
風化させない」
追悼式のあと
施設を
運営する「かながわ
共同会」の
山下康理事長と「
津久井やまゆり
園」の
永井清光園長が
記者会見を
開きました。
理事长:“绝对不会让这件事被遗忘。”追悼仪式结束后,运营该设施的“神奈川共同会”理事长山下康与“津久井山百合园”园长永井清光召开了记者会。
この
中で、
山下理事長は「
9年がたち
風化とも
言われるが、この
事件が
突きつけたものを
忘れるのは
避けなければいけない。
在这其中,山下理事长表示:“虽然已经过去了9年,人们也说记忆正在淡化,但我们必须避免忘记这起事件所带来的警示。”
私たちは
絶対に
風化させない」と
述べました。
また、
永井園長は、「
犠牲になった
方、ご
遺族、けがをされた
方などに
申し訳ない
気持ちでいっぱいだ。
此外,永井园长表示:“对牺牲者、遇难者家属以及受伤者等,内心充满了歉意。”
植松死刑囚と
仕事で
関わっていた
者として
事件の“
十字架”を
背負っているが、
年月がたつにつれて
重く
感じている」と
述べました。
他说:“作为曾与植松死刑犯有工作关系的人,我一直背负着这起事件的‘十字架’,而且随着时间的推移,这种负担变得越来越沉重。”
神奈川 黒岩知事「その
人らしく
暮らせる
理念 伝えること
大事」
追悼式のあと、
神奈川県の
黒岩知事と
相模原市の
本村市長が
記者会見しました。
黒岩知事は「いま、
世の
中の
流れの
中で、『
自分だけがよければいい』というような
考え方や、
違ったものを
排除するといったことが、かなり
前面に
出てきていて、それが
新しい
大きなムーブメントを
起こしている
面も
一部ある。
黑岩知事表示:“现在,在社会的潮流中,‘只要自己好就行’这样的想法,或者排斥与自己不同的事物,这些现象已经相当明显地浮现出来,某种程度上也正在引发新的巨大运动。”
それは、『ともに
生きる
社会』を
作って
いくこととは
全然違う
話だ。
だからこそ、
全ての
人がその
人らしく
暮らすことができるという
社会の
理念を
しっかりと
伝えていくことが、
改めて
非常に
大事だなと
痛感した」と
述べました。
正因为如此,我再次深刻体会到,向大家明确传达“每个人都能以自己的方式生活”的社会理念是非常重要的。
また、
本村市長は「この
津久井やまゆり
園という
場所は、
地域に
根ざした
施設で、
事件が
起こる
前から
多くの
利用者やそのご
家族の
皆さんが
地域と
一体となって、
一緒に
共生社会の
実現を
行っていた
場所だと
思っている。
此外,本村市长表示:“我认为津久井山百合园这个地方,是扎根于当地的设施,在事件发生之前,许多使用者及其家属就已经与社区融为一体,共同致力于实现共生社会。”
そういった
中で、
今後も
市としては、
県と
連携しながら
共生社会の
実現を
多くの
人に
理解してもらえるよう
更なる
取り組みを
進めていきたい」と
述べました。
在这种情况下,市政府今后也将继续与县政府合作,推进更多举措,以便让更多人理解共生社会的实现。
献花に
訪れた
人たちは
元職員「
誰でも
共に
生きていける
社会を」
「
津久井やまゆり
園」で
職員として
30年以上働いていたという
82歳の
男性は「
9年が
たったが
安全・
安心であるべき
施設でこのような
事件が
どうして起きてしまったのか
今も
考え
続けている。
誰でも
共に
生きていける
社会をどう
実現していくのか、
社会全体が
考える
必要があると
思う」と
話していました。
我认为,社会整体都需要思考如何实现一个人人都能共同生活的社会。
「
亡くなった
方々が
安心して
眠れる
社会に」
「
津久井やまゆり
園」で
職員として
6年間働いていたという
原田隆彦さんは(
48)「
亡くなった
方々の
笑っていた
顔など
楽しい
思い出が
記憶にあります。
亡くなった
方々が
安心して
眠っていられる
社会にしたいし、『そうした
社会にするから
心配しないで』と
声をかけて
献花しました」と
話していました。
我想让已故的人们能够安心地安息在这个社会里,并且我在献花时对他们说:“我们会让社会变得如此,请不要担心。”
「
当事者が
声をあげていくことも
必要」
障害があり
車いすで
生活している
東京・
中野区の
和田拓也さん(
32)は
自宅から
バスなどを
乗り継いで
献花に
訪れたということです。
和田さんは、「この
時期になると
事件のことを
思い出し、
毎年、
献花に
来るようにしています。
和田先生说:“每到这个时候就会想起那起事件,每年都会来献花。”
障害がある
当事者と
周囲が
理解しあうことも
大事だし、
当事者が
声をあげていくことも
必要なのではないかと
思う」と
話していました。
我认为,障碍者本人和周围人的相互理解很重要,同时障碍者本人发声也是必要的。
「
一人ひとりが
自分事として
考える
必要」
相模原市に
住む
64歳の
男性は「
事件から
9年で
初めて
献花に
来ることができた。
誰もが
普通に
幸せに
暮らせる
社会を
実現するために、
行政に
任せるのではなく、
一人ひとりが
自分事として
考える
必要があると
思う」と
話していました。
为了实现一个每个人都能平凡幸福生活的社会,我认为不能只交给政府来做,而是每个人都需要把这件事当成自己的事情来思考。
「
誰かを
排除する
社会は
幸せにはならない」
30代のパート
従業員は「
自分自身も
障害があるが、
誰かを
排除するような
社会というのは
幸せにはならないと
思う。『
誰も
殺すな、
誰も
排除するな』と
願いながら
献花しました。
“我一边献花,一边祈愿着‘不要杀害任何人,不要排斥任何人’。”
許されない
事件で
絶対、
忘れてはいけない」と
話していました。