広島での
被爆体験をつづった
小説で
知られる
作家の
原民喜が、
交流のあった
作家の
佐藤春夫に
宛てた
遺書が
見つかりました。
以描写在广岛被爆经历而闻名的作家原民喜,写给有交流的作家佐藤春夫的遗书被发现了。
専門家は、
原が、
自身を
見いだしてくれた
佐藤を
深く
信頼していたことがうかがえる
貴重な
発見だとしています。
专家们认为,这是一个宝贵的发现,可以看出原非常信任发现自己的佐藤。
原民喜は広島で被爆した自身の体験をつづった小説「夏の花」をはじめ、多くの小説や詩を残しましたが、1951年、45歳でみずから命を絶ちました。
原民喜在广岛亲身经历了原子弹爆炸,并以此为题材创作了小说《夏之花》等许多小说和诗歌,但在1951年,45岁时选择了自杀。
原は親族や友人に合わせて17通の遺書を書いていたことが知られていますが、去年10月、実践女子大学が関係者から寄贈を受けた資料を調べたところ、このうち見つかっていなかった佐藤春夫に宛てた遺書が含まれているのを見つけました。
据悉,原曾为亲属和朋友写了17封遗书,但去年10月,实践女子大学在调查从相关人士处接受捐赠的资料时,发现其中包含了此前未被发现、写给佐藤春夫的遗书。
遺書には「私は誰とも さりげなく別れて行きたいのです 御親身にしていただいたことを ほんとうに うれしく思ひます」と書かれ、詩が添えられています。
在遗书中写道:“我想要悄然与所有人道别。对于您给予我的关怀,我真的非常感激。”信中还附有一首诗。
詩は、「碑銘」という題で発表され、広島の原爆ドームの前に建てられた碑に刻まれているものだということです。
这首诗以《碑铭》为题发表,据说刻在建于广岛原子弹爆炸圆顶屋前的碑上。
佐藤は原と雑誌「三田文学」を通じて交流を深め、作家としての原を見いだした存在で、調査に当たった東京大学の河野龍也准教授は「遺書からは原が佐藤を尊敬し、深く信頼していたことがうかがえ、貴重な発見だ。
佐藤通过与原以及杂志《三田文学》的交流加深了彼此的关系,是发现原作为作家的重要人物。负责调查的东京大学副教授河野龙也表示:“从遗书中可以看出,原非常尊敬并深深信任佐藤,这是极为宝贵的发现。”
戦後80年で
見つかったのは
世界に
平和を
訴えかけているようだ」と
話していました。
他说:“在战后80年后被发现,似乎是在向世界呼吁和平。”
この遺書は、東京 渋谷区の実践女子大学の図書館で閲覧できます。
这份遗书可以在东京涩谷区的实践女子大学图书馆阅览。