「いつもありがとう」
子どもたちは毎日、感謝と応援の言葉をつづったメッセージボードをもって道路わきに立ち続けました。
掲げる相手は震災と原発事故で被害を受けた福島県に全国各地から駆けつけた警察、消防、自衛隊の人たち。
あれから14年、応援する側だった男の子は、今度はみずから命を救う立場として新たな一歩を踏み出しました。
(福島放送局 記者 浦壁周平)
「ありがとう」応援し続けた2年間
2011年3月、震災と原発事故で大きな被害を受けた福島県。
翌月、小学4年生になった廣野諒さんは、姉のあみさんと一緒に、沿岸の被災地に向かう警察官などを応援する活動を始めました。
原発事故の影響で多くの人が避難を余儀なくされ、立ち入りが制限された地域の交通整理。
放射線の影響がある中での津波による行方不明者の捜索。
全国各地から駆けつけ、過酷な現場で活動する人たちのために何か自分たちができることはないか。
2人は、福島市の自宅近くの国道を通る車両に向け、朝と夕方に、「ありがとう」、「おつかれさま」「おかえりなさい」などのメッセージを掲げ、手を振り続けました。
応援は、ほぼ毎日、およそ2年続いたといいます。
廣野諒さん(当時小学4年生)
「警察の人たちは毎朝被災地に行って、頑張ってくれているので、少しでも勇気を与えられるように応援しています」
メッセージが現場の励みに
2人の姿は現場で活動する人たちをとても勇気づけたといいます。
当時、被災地のパトロールや行方不明者の捜索にあたった福島県警の穴澤克将さんもその1人です。
朝、福島市を出発し、長時間移動して、沿岸部で活動し、また戻ってくる日々。
疲れもたまっていたといいますが、沿道の2人の姿に元気をもらったといいます。
福島県警 穴澤克将さん
「すごいうれしかったですし、俺たちが頑張るしかないんだ、俺たちがやらなきゃ誰がやるんだという気持ちで、活動する元気を毎回もらっていました。いつも2人がここで見送りしてくれたことで、またあすも頑張るぞと、きょうも頑張るぞという気持ちになれたので、本当に感謝しています」
中には、車を停めて交流してくれる人も出てきました。
仲よくなった自衛官や警察官からお礼の手紙をもらったり、活動の合間に会いに来てくれたりするように。
弟の廣野諒さんは、人の命を救う仕事に憧れを抱くようになりました。
廣野諒さん(当時小学4年生)
「警察とか自衛隊の方が現場で一生懸命働いてくれている姿を見て、自分も人のためになる仕事に就きたいなと思い始めた」
“大切な命を救いたい”
その後、廣野さんが中学2年生のとき、進路を決定づける大きな出来事がありました。
祖父の勇司さんが病に倒れてしまったのです。
動脈が破裂するという命に関わる深刻な状態に。
しかし、駆けつけた救急隊の適切な処置や判断で一命を取りとめました。
その後、亡くなるまでの数年間、大好きな祖父と時間を過ごすことができました。
“自分も大切な命を救いたい”
廣野さんは救急隊員になる決心をしたのです。
廣野諒さん
「祖父は助かるか分からないと言われていた中で、救急隊の救護のおかげで徐々に回復していって、最後は退院して家にいることもできました。祖父には『その時の救急隊のように優しくて周りの人から信頼される救急隊になれるように頑張るよ』と伝えたいです」
“ありがとう”の少年はいま
震災から14年。
23歳になった廣野さんは、東京消防庁で新たな道を歩み始めています。
東京の大学を卒業し消防学校へ。救急救命士の資格も取りました。
2月からは消防署に配属され、今は火災を想定した救助訓練などに励んでいます。
配属から5日目には、機材の点検中、初めての出動要請がありました。
「家族の意識がもうろうとしている」という通報で、先輩たちの活動を現場で支える任務に徹しました。
将来、信頼される救急隊員になるべく、今は目の前の仕事を地道にこなしていきたいといいます。
廣野諒さん
「人のために働きたいという思いが一番強かったので、1人でも多くの人を助けたい、1人でも多くの人の役に立ちたいと思っていました。東京消防庁は災害時に各地に応援に行くと思うので、震災当時の東京消防庁や警察のように、自分も一生懸命できることをして、少しでも人のために頑張りたいです」
14年前、応援に励まされた警察官の穴澤さんも、廣野さんの新たな門出にエールを送ります。
福島県警 穴澤克将さん
「困っている人を助ける、命を守る、そういう仕事を選んで頑張っていると聞いて、すごくうれしい気持ちになりました。小さい時からずっと持っている正義感、優しい気持ちを大事にして活躍していってもらいたい」
取材後記
「2人はいま何をしているんだろう」
「この道路を通るたび励まされた」
福島県内を取材する中で何度も聞いた言葉です。
当時、小学生だった廣野さんは、当時の思いを胸に「人の命を救う仕事」に就きました。とても頼もしく感じるとともに、震災から14年という歳月の長さを感じさせられました。
廣野さんは、当時知り合った警察官たちと今も交流を続けていて、就職を報告した際の応援のメッセージが励みになっているそうです。
また、一緒に応援をしていた姉のあみさんは、地元で保育士として働いています。
今後も2人の活躍を期待しています。
(3月11日『はまなかあいづTODAY』・3月15日『おはよう日本』放送予定)