当初、東京ガスは豊洲での再開発計画などを理由に市場の移転に難色を示していましたが、浜渦元副知事が交渉を担った翌年には、東京ガスとの間で市場の移転に向けた基本合意が結ばれています。このため、浜渦元副知事がどのような交渉を行って東京ガスから移転受け入れを引き出したのか、経緯などが議論される見通しです。
また、委員会に提出された資料で、浜渦元副知事が東京ガスの当時の副社長と会談した際に「水面下でやりましょう」と発言していることや、浜渦元副知事の指示として都の理事が東京ガスに対し、「石原知事が安全宣言しないと東京ガスにとって土地の価格が下がって困るだろう」などと早期の決着を迫る内容の文書があることから、「水面下の交渉」についてどのように証言するかが焦点となります。
20日は石原元知事に対する質疑が行われることから、19日の浜渦元副知事の証言内容が注目されます。
浜渦元副知事と移転交渉
浜渦元副知事は、石原元知事が衆議院議員時代から秘書を務めてきた側近中の側近でした。平成11年4月に石原元知事が都知事に就任した際は特別秘書を務め、およそ1年後の平成12年7月に副知事に就任します。このあと、築地市場の移転問題については、当時の福永副知事から浜渦副知事に担当が代わり、交渉の責任者になります。
平成12年10月、浜渦副知事は東京ガスを訪問し、先の百条委員会に証人として出席した当時の伊藤副社長らと面会します。都の交渉記録などによりますと、浜渦副知事はこの場で築地市場の豊洲への移転を要請し、今後の交渉について「そのことは、水面下でやりましょう」と発言しています。
この「水面下の交渉」については、先の百条委員会でも議論になりました。これについて、大矢元市場長は契約に向けた詰めの協議を表現したものだとする認識を示したほか、浜渦副知事と面会した伊藤元副社長は「水面下うんぬんは全く記憶にない」としました。さらに、面会に同席し当時専務だった市野元会長は「水面下という言葉を使った記憶がないが、いきさつや事情をわかっている実務家が議論してまとまったものをつかさ、つかさでりん議して決めていかないと前に進みませんね、という趣旨の話はした気がする」と述べました。
このあと、都には交渉記録は残されていませんが、先の百条委員会では、平成12年12月に浜渦副知事の指示を受けた都の赤星理事と東京ガスとの交渉メモが提出されたことが明らかになりました。この中で、浜渦副知事が「石原知事が安全宣言をしないと東京ガスにとって土地の価格が下がって困るだろう」などと東京ガスに早期の決着を迫るよう指示していたとしています。ただ、赤星理事はNHKなどの取材に発言を否定しています。
そして、平成13年2月には浜渦副知事と東京ガスの伊藤副社長が、築地市場の豊洲移転について交渉を始めるための覚書を締結。およそ5か月後の平成13年7月、両者は基本合意の文書を交わしました。およそ10年間にわたる移転交渉の中で、浜渦元副知事は東京ガスから移転受け入れを引き出した重要な役目を果たしたと言えます。浜渦元副知事は平成17年7月に退任し、その後、都が関係する会社の役員などを務めています。
浜渦元副知事の主張
浜渦元副知事は、去年9月に豊洲市場の問題についてNHKの取材に応じました。
この中で、築地市場を豊洲に移転することは石原知事の就任前に決まっていたとしています。そして、移転交渉の責任者を担った経緯については、「担当だった福永副知事が東京ガスと交渉したが断られていて、石原知事から『腕力でやれ』と言われて担当することになった」と述べました。
また、「都の役人がこれまで『一緒に豊洲の街づくりをしましょう』と言ってたのを手のひらを返したように『やりません』と言ったので、東京ガスが怒るのは当たり前だ」と述べ、豊洲のガス工場の跡地で開発計画を進めていたことが当初、東京ガスが市場の移転に反対していた理由だったという認識を示しています。
そのうえで、交渉にあたって、東京ガスの幹部の娘が妻だった佐藤信二元通産大臣に力添えを依頼したことや、豊洲がある江東区の区長や区議会議員らに接触し、市場移転と同時に豊洲を観光拠点にする案などを提示して協力を求めたことを明らかにしています。そして、東京ガスが行うことになっていた豊洲の護岸工事を都が行い、代わりに土壌汚染対策は東京ガスが行うことなどの条件を提示したと説明しました。
このほか、浜渦元副知事は週刊誌でジャーナリストのインタビューにも応じています。この中で、浜渦元副知事は、豊洲がガス工場の跡地で土壌汚染があることを認識していたとしたうえで、「コンクリートをがっちりと流し込んで固めて地面をかさ上げするぐらいのことをやらねばダメだと。
そのうえで建物を建てれば地下水とは完全に分断できる。それで十分という考えだった」と述べています。また、東京ガスとの水面下の交渉については、「東京ガス側が株主総会対策なども考えて『水面下』での交渉を望んだ。前任の福永副知事のときから『水面下』という言葉を使うようになった」としています。
そして、平成13年の基本合意のあとは交渉は手を離れたとし、その後明らかになった環境基準の4万3000倍のベンゼンの検出などについては、「東京ガスが土地をきれいにしてから売買することを決めていたのに、なぜそこをやらせずに都が汚染対策費まで出したのか。ベンゼンが検出された時点で、きれいになるまで売買はストップするのが当たり前で、そこに何かが働いたということだ」としています。
浜渦元副知事 過去には「うその証言」認定され辞職
浜渦元副知事が都議会の百条委員会から証人として出席を求められるのは、12年ぶり2回目です。前回は平成17年に東京都の外郭団体が運営する「福祉学院」への補助金をめぐり、当時、副知事だった浜渦氏が民主党に対し、都議会で質問するよう働きかけたどうかを調査するため設置されました。
この中で、働きかけの有無について浜渦氏は否定しましたが、関係者があったと証言したため、委員会は浜渦氏がうその証言をしたと認定しました。そして、議会側が偽証の疑いで告発する構えを固め対立しましたが、浜渦氏が副知事を辞職することで決着しています。