天皇てんのう一家いっか 沖縄おきなわ訪問ほうもん 学童がくどう疎開そかいせん対馬つしままる」の犠牲ぎせいしゃ慰霊いれい

Easy Japanese news
N2 Jun 5, 2025 16:06 1
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Journal japonais
戦没せんぼつしゃ慰霊いれいなどのため4にちから沖縄おきなわけんおとずれている天皇てんのう一家いっかは、那覇なはで、戦時せんじちゅうアメリカぐん撃沈げきちんされた学童がくどう疎開そかいせん対馬つしままる」の慰霊いれいおとずれて、犠牲ぎせいになったひとたちのれいなぐさめられました。

4にち沖縄おきなわせん最後さいご激戦げきせん糸満いとまん戦没せんぼつしゃ慰霊いれいし、沖縄おきなわせん体験たいけんしゃわかかたなど懇談こんだんした天皇てんのう皇后こうごうりょう陛下へいか長女ちょうじょ愛子あいこさまは、5にち午前ごぜん10時半じはんまえ那覇なはある対馬つしままる犠牲ぎせいしゃ慰霊いれいたずねられました。

対馬つしままるは、終戦しゅうせん前年ぜんねん昭和しょうわ19ねん8つき疎開そかいする学童がくどうらをせて沖縄おきなわから九州きゅうしゅうかう途中とちゅうアメリカぐん撃沈げきちんされ、確認かくにんされただけでも780にんあま学童がくどうふく1500にんちか犠牲ぎせいになりました。

この場所ばしょには、上皇じょうこう夫妻ふさい戦後せんご70ねん翌年よくねんひかえた平成へいせい26ねん訪問ほうもんされていて、ご一家いっかは、慰霊いれいまえしろ花束はなたばそなえて拝礼はいれいし、犠牲ぎせいしゃれいなぐさめられました。

つづいて、ちかある対馬つしままる悲劇ひげきつたえる記念きねんかん訪問ほうもんされました。

館内かんないには、犠牲ぎせいになった学童がくどう引率いんそつ教師きょうしなど400にんあま遺影いえいほか筆箱ふでばこなどの遺品いひん展示てんじされていて、ご一家いっかは、時折ときおりうなずきながら館長かんちょう説明せつめいみみかたむけられていました。

このあと、対馬つしままる生存せいぞんしゃ遺族いぞくらと懇談こんだんし、天皇てんのう陛下へいかは、対馬つしままる生存せいぞんしゃで、家族かぞく9にんくした高良こうら政勝まさかつさん(85)に「本当ほんとういろいろ大変たいへんでございましたですね」などとことばをかけられていました。

一家いっかは、午後ごご本土ほんど復帰ふっき記念きねん事業じぎょうとして開催かいさいされた沖縄おきなわ国際こくさい海洋かいよう博覧はくらんかい開幕かいまくから50ねんとなるのを記念きねんした企画きかくてんたあと、6ねんまえ火災かさい焼失しょうしつしたくびさとじょう再建さいけん工事こうじ現場げんば視察しさつされます。

懇談こんだんしたひとたちからは

高良こうら政勝まさかつさん(85)は、天皇てんのう一家いっかとの懇談こんだんのあと、「皇后こうごうさまは、わたしはなことはもうないんじゃないかとおもくらいわたし家族かぞくのことをよくご存ごぞんで、感心かんしんしました。

対馬つしままる記念きねんかん皇室こうしつ方々かたがた関心かんしんっていただいていることは非常ひじょう光栄こうえいで、しっかり維持いじしていかないといけないとしみじみかんじました。対馬つしままる悲劇ひげきについておおひとってもらい、平和へいわ維持いじするために記念きねんかん非常ひじょうおおきい役目やくめたしているんだなとおもいました」とはなしていました。

対馬つしままるっていた2にんあにくした渡口とぐちまことつねさん(74)は、天皇てんのう一家いっかとの懇談こんだんのあと、「緊張きんちょうしていてどのような会話かいわをしたかあまりおぼえていませんが、平和へいわ発信はっしんする対馬つしままる記念きねんかんおもをはせ、上皇じょうこうさまのときからこころせていただいており、どもたちが犠牲ぎせいなる戦争せんそうおろさについておもいをあらにしていただけたのではないかとおもいます」とはなしていました。

また叔父おじ対馬つしままる事件じけん犠牲ぎせいしゃ記念きねんかんかたとして活動かつどうしている嶋田しまだ玲子れいこさん(69)は、「皇后こうごうさまからは、かたとしてどのようなメッセージつたえているかとたずねられました。

愛子あいこさまには、一緒いっしょ平和へいわつくっていきましょうとお伝おつたしました。りょう陛下へいか沖縄おきなわのことを本当ほんとう大切たいせつおもってくださっているとかんじました。今回こんかい愛子あいこさまが一緒いっしょにいらっしゃったことで、わたしこれからどもたちに対馬つしままるくなったどもたちのメッセージつたえなければとおもいました」とはなしていました。

案内あんないやく対馬つしままる記念きねんかん平良たいら館長かんちょう

母親ははおや対馬つしままる生存せいぞんしゃで、天皇てんのう一家いっか案内あんないやくつとめた対馬つしままる記念きねんかん平良たいら次子つぎこ館長かんちょうは、「この記念きねんかんは、戦争せんそう体験たいけんしたひとかなしみくるしみ突き詰つきつめていくという役割やくわりたしていきたいとはなと、りょう陛下へいかから『ぜひ頑張がんばってください』とことばをかけていただきました。

愛子あいこさまも熱心ねっしんいてくださり、はなしやすかったです」とはなしていました。

沿道えんどうから見守みまもったひと

対馬つしままる記念きねんかん」にかわれた天皇てんのう皇后こうごうりょう陛下へいか愛子あいこさまを沿道えんどうから見守みまもった男性だんせいは、「対馬つしままる」にっていたおばをくしたということです。

男性だんせいは「沖縄おきなわひと今回こんかい訪問ほうもんある程度あるていど沖縄おきなわ歴史れきしかんがえながらているとおも

ことしは戦後せんご80ねんで、生き残いきのこったひと証言しょうげんできる最後さいご機会きかいだとおもので、沖縄おきなわのことをこころめてほしい」とはなしていました。

沖縄おきなわ訪問ほうもん2にち沿道えんどうおおひと

那覇なは市内しない交差点こうさてんちかには、5にち天皇てんのう皇后こうごうりょう陛下へいか愛子あいこさまを一目いちもくようと、おおくのひとあつまりました。

夫婦ふうふおとずれた浦添うらぞえの50だいおっとは「沖縄おきなわおもせてくださりありがたいです。

今回こんかい訪問ほうもんに、くびさとじょうなどへの観光かんこうももっと盛り上もりあがるといいなとおもいます」とはなしていました。

40だいつまは「くびさとじょう火事かじわたしたちがかなしいおもをしたこと、いま笑顔えがおまえいていること、どちら愛子あいこさまにぜひっていただきたい」とはなしていました。

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