近年、わが国では、物事を解説したり、考え方や視点を明確に伝えたりする際に、難解な言葉や文章を使うことは敬遠され、よりわかりやすい言葉や文章、語りが求められる傾向が頭者である。
近年來,在我國,說明事物或明確傳達想法與意見時,傾向於避免使用艱澀難懂的詞語或句子,取而代之的是偏好易於理解的詞語、句子及表達方式。
テレビの番組などでニュース解説を担当するキャスターの中には、そのわかりやすい解説で人気を博す者もある。
在電視節目中負責新聞解說的播報員中,也有以通俗易懂的解說而聞名的人。
わかりやすさは確かに重要であり、学校の授業でもよい授業、子供たちの効果のよい学習活動が展開される授業における指導者の言葉や解説は、わかりやすく的確である。
清楚易懂真的非常重要,在學校的課堂上,當孩子們的學習活動能夠有效進行時,老師的講解和說明也都十分明確且容易理解。
さらに各種の映像装置を駆使するなど、わかりやすさを実現するための技術も進歩している。
此外,為了提升易於理解的程度,各種視覺設備的最大活用等相關技術也在不斷發展。
そこでは、言葉が思考と伝達のための主たる役目を担うことになるが、そのわかりやすさはときとして、受け取る側の思考の多様性や広がり、深まりを妨害することがある。
在那裡,語言主要扮演著思考與傳達的角色,但其明確易懂有時也會妨礙接收者思考的多樣性、廣度以及深度。
わかりにくいものとわかりやすいものがあれば、人は当然わかりやすい方を選択する。
當有困難的事和簡單的事時,人們當然會選擇簡單的事。
わかりやすく的確な言葉は、そのまま学習者の中に蓄えられる。
そして、多くの人はその時点で学習が終了したと考えるのである。
わからなかったことがわかった、新しい知識を得た、これが学習の最終段階だと思ってしまうのである。
他們認為,理解未知的事物並獲得新的知識是學習的最終階段。
しかしそれは、自身の中にその解説を発した人の言葉や考えを取り入れたにすぎない。
但是,那僅僅只是把解說者的話語或想法納入自己之中而已。
「学びの真正性」とは、そこから自身の新たな思考を広げ、それらが表現される段階まで進むことである。
「學習的真實性」是指擴展自己全新的思考,並進一步發展到能夠表達出來的階段。