川中かわなかとうたたか」めぐるあら書状しょじょう発見はっけん 新潟にいがた

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Sep 7, 2019 04:09
Furigana
日本报纸
戦国せんごく武将ぶしょう上杉うえすぎ謙信けんしんがライバルの武田たけだ信玄しんげんたたかった「川中かわなかとうたたかに関にかんするあら書状しょじょうが、このほど新潟にいがた県内けんないつかりました。「川中かわなかとうたたか」はかいあったというのが通説つうせつですが、専門せんもんは、その後そのご信濃しなの領土りょうどをめぐって合戦かっせんがあったことがうかがえる「原本げんぽん」で、貴重きちょう記録きろくだとしています。つかった書状しょじょうは、戦国せんごく時代じだいえいろく年間ねんかん(1558ねん~70ねん)に、上杉うえすぎ謙信けんしん自分じぶん領土りょうどだとかんがえていた、いま長野ながのけん北部ほくぶ北信濃きたしなのななにん武将ぶしょうてたもので、新潟にいがた大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅで、郷土きょうどくわしい冨澤とみざわ信明のぶあきさんが、およそ15ねんまえこっとうひんあつか関係かんけいしゃから購入こうにゅうし、保管ほかんしたままになっていました。

冨澤とみざわさん上杉うえすぎ謙信けんしん研究けんきゅうだいいちにんしゃで、上越じょうえつ公文こうぶんしょセンター福原ふくはら圭一けいいち上席じょうせき学芸がくげいいん調査ちょうさ依頼いらいしたところ、花押かおうばれる、謙信けんしんサインなどから、原本げんぽんある確認かくにんされました。

北信濃きたしなのをめぐって謙信けんしん信玄しんげんたたかった「川中かわなかとうたたか」は、通説つうせつではかいあったとされています。

学芸がくげいいん福原ふくはらさんによりますと、近年きんねん研究けんきゅうで、謙信けんしん信玄しんげん対立たいりつその後そのごつづいていたことはあきらかになっていましたが、つかった書状しょじょうは、明治めいじ時代じだいのこされたうつ原本げんぽんで、かいたたかさんねんえいろく10ねんに、謙信けんしんしたものだということです。

書状しょじょうでは、信濃しなの北進ほくしんする信玄しんげん侵略しんりゃくふせため、ななにん武将ぶしょうに対にたいし「みなざいじんあり、堅固けんご仕置しおき専一せんいつこう」。つまり、「みんな陣所じんしょそれぞれ持ち場もちばしっかりまもように」と指示しじしているということです。

福原ふくはら学芸がくげいいんは、ほか研究けんきゅう成果せいかわせてかんがえれば、かい合戦かっせんのあとも、合戦かっせんがあったとかんがえるべきだとしていて「戦国せんごく時代じだいひとは、今回こんかいなんかい合戦かっせんおもってたたかっているわけではないが、江戸えど時代じだい軍記ぐんきぶつとしてかれたときに、かいまでをセットにしいちさつにしてのこされた。しかしえいろく10ねんにもたたかっているということを念頭ねんとう見直みなおしたほうがよいのではないか」とはなしています。

書状しょじょう持ち主もちぬし冨澤とみざわさんは「本物ほんものだとおもって購入こうにゅうしたわけですが、謙信けんしん書状しょじょう間違まちがないということが確認かくにんできてうれしいです」とはなしていました。

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